| 4413 | 「戦後政治史検証」
(旧題・日本共産党戦後党史の研究(一) |

(最新見直し2006.7.20日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 我々は世の重要なことに対してあまりにも知らなさ過ぎる。というか知らないようにされ過ぎている。反対にどうでも良いようなことについては情報洪水の中に居る。れんだいこは、インターネットと遭遇することによりその機能に注目し、知るべきことで知らされていないことを書き付けようとした。日本左派運動の歴史は、人民的に知っておくべきことであるのに伏せられている。だからここに歴史順に整理してみた。今後貴重な資料集にしたいと思う。著作権棒を振り回さない同人同士でより内容豊かなものにしていきたいと思う。 2002.10.20日 れんだいこ拝 |
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戦後の日本の政治情勢を主に日本共産党の動きを中心にして解析してみる。できるだけ時系列で追うことにするが、特に重要な史実についてはそこで項目を立てて一区切りになるよう経過を叙述した。なお、内容に立ち入る必要のある場合にはさらに項目を立てて分析した。そういう意味では時系列には必ずしもなっていない。全体として投稿前の予備資料としてレポート形式で書き上げたので、前後の文章は接合されていない。必要な個所についてはその都度私見.私論を書き添えた。 戦後学生運動の流れは、よほどの重要事件で無い限り「戦後学生運動論」に転写していくことにした。 2005.9.21日 れんだいこ拝 |
| 【識者の日共分析金言集】 | ||||||||||||||
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この章の理論的貢献は、日本共産党の戦後運動が、「『六全協』を通じて徳球系から宮顕系へと断絶的にすり替えられており、その結果大きく右旋回している」ことを的確に認識しえず、戦前−戦後−今日までの軌跡を一貫したものとして受止め、現下党中央のそれを「左翼内右派系の民族路線型統制運動」とみなしつつも、「一定の評価と敬意」で遇して来たり、頭ごなしの日共批判で得々としてきたことの間違いを指摘しているところにある。 |
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| 【大東亜戦争を問う】 |
目次
第一期(1945〜1950)
| 1945年敗戦まで1 | 連合国軍による日本占領政策の研究 |
| 1945年敗戦まで2 | 第二次世界大戦の帰趨 |
| 1945年終戦への動き | 天皇の御聖断への流れ |
| 1945年終戦直後の動き | 敗戦と「GHQ」の進駐、施策指令 |
| 1945年終戦直後から9月末までの動き | 政治犯の釈放、戦後党運動の開始 |
| 1945年10月より年末までの動き | 「GHQ」の諸施策、労働組合の急速な結成 |
| 「生産管理闘争の意義と挫折」 | |
| 1946年上半期 | 天皇人間宣言、野坂帰国、「第5回党大会」で徳球−野坂執行部の確立 |
| 1946年下半期 | 「GHQ」本格的戦後改革制度着手、労働運動激化 |
| 1947年上半期 | 「2.1ゼネスト」流産す。「GHQ」政策の転換。片山連立内閣組閣 |
| 1947年下半期 | 「第六回党大会」で徳球−伊藤律−野坂執行部の確立 |
| 1948年通期 | 吉田内閣と左派運動の拮抗 |
| 1949年通期 | 「9月革命」呼号、流産す。 |
| 第一期【戦後革命の敗北考】 | |
| GHQ及びマッカーサー論 | |
第二期(1950〜1955)
| 1950年上半期 | 「50年問題発生」、党内分裂す。 |
| 1950年下半期 | 朝鮮動乱勃発、党中央非合法化される。国際派が分派組織公然旗上げ。 |
| 1951年通期 | 徳球派党中央極左路線採用す。「四全協」開催。講和条約締結。「五全協」開催。 |
| 1952年通期 | 【血のメーデー事件】。 「武装闘争路線」の混迷。 |
| 1953年通期 | 徳球書記長死去す。党中央伊藤派から志田派へ実権移動す。 |
| 1954年通期 | 党中央志田派混迷、宮顕派との妥協模索。 |
| 第二期【党分裂と武装闘争の空転】 | |
| 武装闘争路線考、背景事情考 | |
| 「れんだいこの50年問題総括」 | |
| 徳田球一論 | |
| 徳球書記長時代の党人脈図 | |
| 伊藤律論 | |
| 宮顕派と志田派の通底考 | |
| CIA謀略機関考 | |
第三期(1955〜1961)
| 1955年通期 | 「六全協」開催。党中央大同団結、宮顕派の党中央簒奪劇が開始される。 |
| 1956年通期 | 徳球系次々と排斥される。 |
| 1957年通期 | 「50年問題について」発表され、採択される。 |
| 1958年通期 | 【第7回党大会開催】、宮顕指導体制確立す。 |
| 1959年通期 | 安保問題の政局浮上。宮顕派と春日(庄)派の対立表面化 |
| 1960年上半期 | 空前絶後の安保闘争闘われる。その余波 |
| 1960年下半期 | 60年安保闘争後の情勢 |
| 60年安保闘争考 | |
| 1961年通期 | 【第8回党大会開催】、春日(庄)グループ離党、宮顕独裁体制確立 |
| 第三期【宮顕独裁体制確立】 | |
| 「61年綱領」論 | |
| 構造改革派の意義と限界と稚拙考 | |
第四期(1961〜1970)
| 1962年通期 | 宮顕の「排除の論理」路線の満展開。 |
| 1963年通期 | 「中ソ論争」公然化、党中共よりにシフトしつつ自主化す。 |
| 1964年通期 | 党の奇妙な「4.17スト対応」。志賀グループ離党。【第9回党大会開催】。 |
| 「党の奇妙な4.17スト対応」考 | |
| 1965年通期 | 党低迷、反戦青年委員会結成。 |
| 1966年通期 | 中共派グループ離党、【第10回党大会開催】 |
| 1967年通期 | ベトナム反戦闘争と新左翼系学生運動の激化 |
| 1968年通期 | 新左翼系全共闘運動の盛り上がり、党指導による革新自治体創出。 |
| 1969年通期 | 全国全共闘結成と内部溶解の兆し現出、党派間ゲバルト開始。 |
| 1970年通期 | 「70年安保闘争」とその周辺、【第11回党大会開催】。 |
| 第四期【日共の反革命策動】 | |
| 志田派の抵抗考 | |
第五期(1970〜)
| 第33部 | 71年当時 | |
| 第34部 | 72年当時 | |
| 第35部 | 73年当時 | 【第12回党大会】 |
| 第36部 | 74年当時 | |
| 第37部 | 75年当時 | |
| 第38部 | 76年当時 | 【第13回臨時党大会開催】 |
| 第39部 | 77年当時 | 【第14回臨時党大会開催】 |
| 第40部 | 78年当時 | |
| 第41部 | 79年当時 | |
| 第42部 | 80年当時 | |
| 第43部 | 81年当時 | |
| 第44部 | 82年当時 | |
| 第45部 | 83年当時 | |
| 第46部 | 84年当時 | |
| 第47部 | 85年当時 | |
| 第48部 | 86年当時 | |
| 第49部 | 87年当時 | |
| 第50部 | 88年当時 | 【リクルート事件勃発】 |
| 第51部 | 89年当時 | |
| 第52部 | 90年当時 | |
| 第53部 | 91年当時 | |
| 第54部 | 92年当時 | |
| 第55部 | 93年当時 | |
| 第56部 | 94年当時 | |
| 第57部 | 95年当時 | |
| 第58部 | 96年当時 | |
| 第59部 | 97年当時 | |
| 第60部 | 98年当時 | |
| 第61部 | 99年当時 | |
| 補足 | 「自由民主党の歩み」の研究 | |
| 第五期【日共の腐敗と無能】 | ||
| 以降は、「21現代史研究」 | ||
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(私論.私見)