| 大本教について |

大本教は開祖・出口なおが京都綾部で始めた教団で、主神を「うしとらの金神(うしとらのこんじん・国常立尊)」で、その金神がなおに乗り移ったとする。なおも、天理教の中山みき同様に筆をとり、猛烈な勢いで半紙に向かって神の言葉を書き付けたお筆先が残されている。このお筆先は膨大なもので、約1万巻、半紙にして10万枚にものぼるに至った。
大本開祖・出口なおと大本聖師匠・大本王仁三郎(おにさぶろう)の霊界物語。
「それは遠く始原の世にまで遡る。その時、世界は国常立尊(くにとこたちのみこと)によって創られた豊かな世が続いていた。ところが、この世を始めた国常立尊であったが、あまりに我が強いため、押し込められてしまった。この結果、国常立尊は政権の座を退き、うしとらの金神(こんじん)となって隠遁する。それは実に三千と五十年の長きにわたった。だが、その間、世界は乱れに乱れる。神界では悪神が跋扈してゆき、地上では弱肉強食がまかり通る。いわゆる大本の言う『我れ良しの世』となった。もはや、一刻の猶予もなかった。国常立尊は、この乱れ切った世を救うため、再びこの世に降臨するのだ。国常立尊の降臨先−それが、出口なおに他ならない。そして、神は彼女を通して、三全世界の立て替えを激しく求めてきたのである。なおは、それをうしとらの金神(国常立尊)の語る物語として『ふでさき』に著した。恐らく、彼女の中には没落に向かって突き進む世界崩壊の烈しい予感が渦巻いていたに違いない。いや、それは予感などという生易しいものではない。その崩壊はありありと目に映っていたに違いない。それ故、彼女は世の立て替えを急き込んだ。なおは、幼い頃より世の辛酸を嘗め尽くして育っていた。例えようもない不幸と悲惨をその一身に刻み込んでいた。『何かが間違っている。絶対に何かが』。そうした烈しいなおの思いが神からの天啓と直結した時、彼女をして世の警告者として登場せしめた。そして、そうした警告を聖師たる王仁三郎が体系づけ、烈しく世に問うたのである。かくして、これら世の立て替えの物語は、同じ思いを心に抱く名も無い民衆から熱狂的に迎えられた。彼らは自らの境遇を大本の物語に重ね合わせ、その吐く言葉を自らのものとして世の立て替えへと馳せ参じたのだ」(小滝透「神々の目覚め」)。
神殿(月宮殿)はダイナマイトで吹き飛ばされた。神殿破壊には1500発以上のダイナマイトがつぎ込まれた(第二次大元事件)。出口王仁三郎以下幹部一同は、長く牢につながれた。その時の法廷で、「人虎孔裡(こうり)に堕つ」禅問答をしている。人が虎の穴に落ちた場合の問答で、王仁三郎は裁判長に問うた。「あなたならどうするか」と。この問答は、裁判長が虎、王仁三郎が虎の穴に落ちた人を前提として問い掛けられていた。裁判長は答えに窮した。王仁三郎は答えた。「人間より虎の方が強いから逃げようとすると殺される。刃に向かっていっても同じ事だ。ジッとしていても虎の腹が減ってくると殺しに来る。どっちにしても助からない。けれど、一つだけ生きる道がある。それは食われてはダメだ。こちらから食わしてやるのだ。食われたら後には何も残らんが、自分のほうから食わしてやれば後に愛と誇りが残るのだ」。裁判調思わず「うーん」とうなり、打たれるものがあった、と伝えられている。つまり、王仁三郎は、裁判長(国家権力)に向かって、「君達が私を裁くのではなく、私が君達をして裁かせてやっているのだ」と言い放ったことになる。
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(私論.私見)