| イルミナティの歴史 |

(最新見直し2007.3.21日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 近代に活躍したフリーメーソンを更にネオ・シオニズム的にイデオロギッシュにしたのがイルミナティーで、今やフリーメーソンは過去形で語られるべきではなかろうか。そういう訳で、現代版フリーメーソン即ちイルミナティを考察せねばならない。 2006.4.7日 れんだいこ拝 |
| 【「イルミナティ」の創設者アダム・ヴァイスハウプトの家系】 | |
| 「イルミナティ」の創設者は、アダム・ワイスプト(Adam Weishaupt、1748〜1830年)と云われている。アダム・ワイスプトについては、「イルミナティー」に概述されている。それによれば、アダム・ヴァイスハウプトは1748年、バイエルン王国のインゴルシュタッドで生まれた。 父親のヨハン・ゲオルグ・ヴァイスハウプトは著名な法学者であった。当時のパヴァリアを支配したマクシミリアン3世が進歩的思想の持ち主で、インゴルシュタッド大学に科学アカデミーを創設し、そこの責任者に進歩的なイックシュタッド男爵を任命した。男爵は、法学の硬学として名の通っていた甥に当るヨハンを教授として招聘し教育改革に当らせた。 当時のインゴルシュタッド大学は、カソリックのイエズス会系学者たちの支配下にあり、この改革は、旧体制的なイエズス会系の学者たちと摩擦を引き起こした。ヨハンの息子アダム・ヴァイスハウプトはイエズス会神学校に学び、インゴルシュタッド大学法学部に入学した。 青年期のアダム・ヴァイスハウプトは、フランスの啓蒙主義や百科全書派の影響を受け、次第にイエズス会の宗教的規制を逃れ、学問的領域を広げていった。古代エジプト、ピタゴラス学派、ピタゴラス、ユダヤ教エッセネ派、グノーシス派について研究し、さらにはフリーメーソンに興味を持っていく。そういう思想遍歴を経ながら、「早熟な天才ユダヤ人」として頭角を現し、わずか20歳で法学の学位を取り、若干24歳にして教授、27歳のとき、法学部長となっている。 アダム・ヴァイスハウプトは、次第に反イエズス会の思想に染まってゆき、反カトリックの熱心なオカルティストとなった。シンボルによる人間の意識への働きかけを考察し、オカルティックな古代の魔術的宗教性に凝った。その一つに数字的な拘りが認められ、例えば“666”数字を重視する。それは、宗教から政治への関心を強める道のりでもあった。アダム・ヴァイスハウプトは、カントに反対し、ロックを信奉し、理性の支配と世界主義の立場を主張した。これを「リーズン」( reason )(ratio、 ラチオ、レイシオ)主義と云う。 アダム・ヴァイスハウプトは次のように述べている。
ヴァイスハウプトは、超エリートによる世界統一政府を構想し、暴力革命や陰謀、策略を巧妙に活用して現存する国家のすべての廃絶を主張し始めた。 急進的な社会改革思想を持ち、徹底した自由と平等を唱え、反キリスト教、反王制を唱え、ユダヤ王を世界の中心とする原始共産主義的な共和制国家の樹立を主張した。 1773年、クレメンス15世によりイエズス会の解散命令が打ち出された。これにより、インゴルシュタッド大学内にイエズス会系と非イエズス会系学者の暗闘を引き起こした。アダム・ヴァイスハウプトのこの頃の立ち回りは不明であるが、一時期、大学での講義を禁止され、ミュンヘンに逃げるまでになる。その後、秘密結社の創設を企図し始める。 |
| 【「イルミナティ」の創設】 | |||||
|
1773年、ドイツのフランクフルトで、初代ロスチャイルドら13名の国際ユダヤの巨頭が秘密重要会議を開き、「フリーメーソンに代わるより生硬な」ユダヤ・シオニズムによる世界征服と、その手段としての世界革命綱領と、それを実行するための地下組織イルミナティの創設を決定した。アダム・ヴァイスハウプトがイルミナティ責任者として選抜された、と云う。(ウィリアム・ギー・カーの「将棋の駒」参照)。
「1776.5.1日付イルミナティ(啓明会)の創設者(アダム・ワイスプト)の手紙」には次のように記されている。偶然かどうか「メーデーの日」は、「アダム・ワイスプトの手紙の日」に当っている。
イルミナティとは「光からきたもの」という意味であるが、イルミナティの光は「ルシファー」を指しており、「ルシファー」とは聖書によれば「サタン」であり「悪魔の王」である。旧約聖書によればかつては光の天使として絶大な力を持っていたが、その力を過信して自らが神になろうとして地獄に落ちたとされる堕天使として描かれている。 ルシファーというのが、彼らの神である。ルシファーが堕天使(だてんし)である。悪魔や魔王の、サタンやデビルというのも頻出する。 イルミナティの最高幹部のひとりだった人物Albert Pike アルバート・パイクは、後にイルミナティの秘密を暴いた本を書いた。次のように記している。
私たちの神であるルシファー Lucifer が本当の神である故に、キリスト教徒たちや司祭たちは、私たちの神ルシファーの悪口を言う、という裏意味になる。ここに、Masonic
religion (マゾニック・レリジョン)、フリーメイソンの教団の教義(組織原理)が現れている。
彼らはしばしば集会を行い、反イエズス会や啓蒙思想の本を回覧したり、情報交換を行った。そして、独自の暦を作り、これを用いていた。イルミナティは次第にフリーメーソンと混交した。 |
| 【「ヴァイスハウプトと「シオンの議定書」の関係】 |
| かの「シオンの議定書」は、ロスチャイルドの依頼を受けて、1776年、ヴァイスハウプトが完成させたものであるという説がある。イルミナティが結成されたのが、同年5.1日であることからすれば、イルミナティを創設したヴァイスハウプトが「シオンの議定書」を書き上げ、イルミナティが「シオンの議定書」の指針を実行するために組織されたということが考えられる。 |
| 【ヴァイスハウプトとマルクスの関係】 | ||
|
「共産主義者の宣言」の起草をマルクスに依頼したバルーフ・レヴィは、マルクスに宛てた手紙の中で彼らの目的を次のように記している、とのことである。れんだいこは、「バルーフ・レヴィがマルクスに宛てた手紙」について知識が無いので手紙の真偽に対して判断留保せざるを得ないが、由々しき内容になっている。
|
| 【「イルミナティ」のその後】 | |
| イルミナティは、ドイツバイエルン地方で誕生した。結成初期の団員は、いずれもヴァイスハウプトの弟子や友人たちであった。「その後、ヴァイスハウプトはフリー・メーソンのロッジに潜入し、最高位に昇りつめ、結社員にも秘密結社(フリー・メーソン)内に秘密結社(イルミナティ)を組織するよう指示を与えたとされている」。これが史実とすると、イルミナティは、フリーメーソンリーの33階級の更に上部の司令塔ということになる。ネオ・シオニズム系組織としてフリーメーソンよりもより目的性の強いのがイルミナティであり、イルミナティ創設後はフリーメーソンの教義は色褪せ、ユダヤ的本質はイルミナティに純化された。イルミナティは完全な秘密組織で、一部フリーメーソンと重なりながら独自の歩みを見せていった。
1787年、ヴァイスハウプトは、「イルミナティ結社の原著作集」と題する著作を発表し、イルミナティ結社のねらいと目的を明らかにしている。 基本的に集産主義、社会主義、宗教の撲減、すべての政府の転覆、個人財産権の廃止を呼びかけていた。 1778年頃に、多くの市民と下級貴族が大挙入団し、組織は巨大化した。バヴァリア・イルミナティは急速に膨張し、ヨーロッパに広がっていった。最も有名なのはバイエルンで1776年に設立されたイルミナティで、1784年にバイエルン政府がフリーメイソン、イルミナティを含む全ての秘密結社を禁止するまで続いた。沈滞状況にあったフリーメーソン団員の多くを獲得し、主として学者、弁護士、裁判官、学生、薬剤師、貴族らの知的エリートが参加した。 1789年、フランス革命が勃発した。この時、フリーメーソン、イルミナティが暗躍した。結社が禁止された1785年から4年後のことである。 稀代の魔術師カリオストロは、革命勃発時、ローマの天使城に監禁されていたが、異端審問法廷で、「国家転覆を企んだのは自分ではなく、ある秘密結社に命じられての行為だ」と弁明し、その結社はバヴァリア・イルミナティだと主張した。カリオストロによれば、イルミナティはアムステルダムや、ロッテルダム、ロンドン、ジェノヴァなどの銀行の巨大な資産を用いて、専制国家体制の転覆を裏から着々とはかっているという。フランス革命の随所にイルミナティの影がさしていたことだけは間違いない。フランス革命の推進者の多くはフリーメーソンだったが、彼らはヴァイスハウプトの影響を深く受けており、実際、ミラボー伯のように、イルミナティとフランス・フリーメーソンを結合させるべく動いた人物が、多数記録されている。そのフランス大革命は最後にャコバン党を生み出し、フランス大革命後の血なまぐさい大混乱のさなか、彼らは多くの人々をギロチンに送り、やがて自分等も自滅してしまう。 イルミナティの最盛期には各国に支部が置かれ、会員は学者、弁護士、裁判官、学生、薬剤師、貴族ら知的エリート等、2千人に及んだという。その中には、かのゲーテもいた。哲学者ヘルダーがいたし、ベートーベンの師クリスチャン・ネーフェもいた。楽聖モーツァルトもその一員だった可能性がきわめて高い。後の米国大統領トマス・ジェファーソンもいたといわれている。 イルミナティは、クニッゲ男爵の加盟により組織を大きく拡大させた。このことが、領のヴァイスハウプトとクニッゲ男爵の深刻な内部抗争を発生させた。1874年、クニッゲ男爵は退団し、その後はあらゆる秘密結社を否定する論者となる。 当初は政治的な団体ではなく、伝統や因習に縛られないリベラルな知的交流を目的としていた。やがてその反体制性が警戒されて弾圧を受け、1785年、「政府の許可無く組織を作ることを禁止する」という禁令が下され結社が禁止された。 更に、致命的なスキャンダル事件が起こる。国立アカデミーの教授でイルミナティ幹部だったヨーゼフ・ウイッツシュナイダーの密告により、イルミナティがオーストリアのヨーゼフ2世と結託し、ドイツを転覆させ、ドイツをオーストリア帝国の支配下に置く陰謀を企んでいる。そのために毒殺や短剣を用いた要人の暗殺を企んでいる、とする陰謀が暴露された。政府はイルミナティの調査を命令する。結果、反キリスト教的思想、反王制思想、革命思想が発覚した。同年、2回目のイルミナティを名指しで禁止する法令が出される。一連の指導者は逮捕され、政府高官は左遷、公職追放された。 ヴァイスハウプトはレーゲンスブルクに亡命し、イルミナティの弁護の著書を次々に出したが、無駄であった。この頃、彼は私生児を設け、これを堕胎させた。これは結果的に赤ん坊殺しのスキャンダルに発展し、終いには「イルミナティでは赤子を生け贄にする黒ミサを行っている」というデマまで生まれた。 さらに、イルミナティの元団員達が裏切り、曰く、イルミナティは毒殺と私刑に満ちた恐怖支配の黒魔術結社であり、テロによる政府転覆を狙う陰謀結社である云々と告発した。反フリーメーソン論者として知られたバリュエル神父やロビンソン教授らが、イルミナティを悪魔崇拝の政治的陰謀結社とする本やパンフを出版し告発した。政府も世論も完全にイルミナティの敵となった。主な団員は公職追放され、団員達も退会した。オーストリアとワイマールの支部は、その後も何とか存続しようとしたが、1786年、壊滅する。イルミナティの寿命は、わずか十年間であった。 1829年、イルミナティの集会がニューヨークで開かれ、イルミナティの英国人メンバー・ライトが演説を行い、「イルミナティがあらゆる破壊分子組織とニヒリストおよび無神論者を総合し、共産主義として知られるひとつの国際組織とするつもりである」と公表した。この新たな企てのために基金を募る委員に指名された一人が、フランクリン・ D ・ルーズべルトの直系の先祖クリントン・ルーズべルトで、集められた基金の一部が、マルクスとエンゲルスの共産主義活動費用に提供された、との説がある。 ヴァイスハウプトは、その後も、ほうぼうを亡命しなら著作活動続けたが、ドイツ中部のゴータ公領に逃げ込み、彼の支持者だったエルンスト公爵に庇護され、そこで余生を過ごした。1830年、彼は死去した。臨終の枕に集まった弟子たちに、イルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトはため息まじりにこう語っていた。
|
| 【「イルミナティ」のその後】 | |
|
ヴァイスハウプト死去後イルミナティは一人歩きし始めた。その後も、アメリカ独立戦争、第一次世界大戦、ロシア革命、スペイン内戦、第二次世界大戦と重要な転換点でフリーメーソン、イルミナティの影が見え隠れすることになる。
カリオストロ伯爵がローマで逮捕された。伯爵はこの時、イルミナティなる国際的巨大な陰謀結社があり、自分はその命令通り動いていただけだ、と弁明した。フランスの外交官ミラボー伯がドイツでスパイ活動を行っていたが、彼はここでイルミナティに入団しその人脈を政治的にも利用した。さらにフランスのフリーメーソンの実力者をイルミナティに入団させようとした。 現在、イルミナティには少なくとも2つのグループが存在していると思われる。すなわち、ホワイト・イルミナティとブラック・イルミナティである。 |
|
【イルミナティ 悪魔の13血流―世界を収奪支配する巨大名家の素顔】
|
|
| フリッツ スプリングマイヤー( Fritz Springmeier)氏の著作「イルミナティ 悪魔の13血流―世界を収奪支配する巨大名家の素顔」( 太田
龍(翻訳)は、イルミナティ 悪魔の13血流としてアスター家、バンディ家、コリンズ家、デュポン家、フリーマン家、ケネディ家、李家、オナシス家、ロックフェラー家、ロスチャイルド家、ラッセル家、ファン・ダイン家、「聖なる」ダビデの血流を挙げている。周辺の二家としてレイノルズ家、クルップ家を挙げている。 次のように述べている。
|
| 【イルミナティ世界権力シオニスト評議会の決定した十項目の秘密の行動目標】 | |
|
2003.10.10日付け「太田龍の」時事寸評」は、「イルミナティ世界権力シオニスト評議会の決定した十項目の秘密の行動目標」と題して次のように述べている。http://www.pavc.ne.jp/~ryu/
|
| 【ジョセフ・R・マッカーシー上院議員の悲劇】 | ||
|
米国で、イルミナティの陰謀についてもっとも激しく言及したのは、「赤狩り」で悪名高いジョセフ・R・マッカーシー上院議員であった。マッカーシーは議会で次のように演説している。
※マッカーシーの主張については「共産中国はアメリカがつくった−G・マーシャルの背信外交」参照のこと。 ちなみに、アイゼンハワー政権でCIAの心理戦争局の幹部であったC・D・ジャクソンは、ビルダーバーグ会議に出席したあと次のように発言した。
その予言通り、マッカーシーは議会から排除され、失意のうちに、1957年、死因不明のまま死亡している。 |
![]()
(私論.私見)