| フリーメーソンの歴史 |

(最新見直し2005.12.24日)
| (れんだいこのショートメッセージ) | |
トロツキーの「わが生涯1」に次のような記述がある。これを転載する。
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| 【古代フリーメーソンの起源と歴史】 |
| フリーメイソンは、憲章の第一部「歴史編」で、自らのルーツについて次のように述べている。 まず、旧約聖書の天地創造譚を受け、それを紀元前4004年の出来事と定める。神エホバが最初に人間創造したアダムを祖先とし、この時神エホバは「宇宙の偉大な建築者である神の形に似せて人間を造られた」ことから、アダムも又建築者としての能力を引き継いだとする。次に、フリーメイソンの祖先のソロモン神殿との関わりを説く。ソロモン神殿とは古代ユダヤ民族が唯一神ヤハウェの恒久の住いとして聖地エルサレムに7年半を費やし建設したと云われている神殿のことで、ソロモン神殿は神が設計した完全なる建築物とされ、フリーメイソンの重要なシンボルとなっている。紀元前10世紀頃、ソロモン神殿においてフリーメイソンの象徴的階位や入社儀礼が誕生した。 旧約聖書によれば、ソロモン王は神殿建築にあたって、同盟国であり父王ダビデの時代から親睦を深めていたツロの王ヒラムに助力を求めた。ヒラムの支配下にあったティルスやシドン(古代フェニキアの海港都市)には、当時最高の建築技術と卓越した彫刻・装飾技術者達が居た。ツロの王ヒラムはソロモン王の要請に快く応じ、ティルスから3306人もの労働者を送り、神殿建設に不可欠な材木と石を運ばせた。「ヒラム・アビフ」(ヒラム王とは別人)が神殿建設の中心的役割を果たした。 旧約聖書には、ヒラム・アビフはナフタリ族(イスラエルの1支族)の未亡人の息子で、父親はティルス出身の真鍮職人だったとある。傑出した知識と技術を持っていたヒラムは、神殿建設の最高責任者として建築全般の管理を任された。彼自身、すべての建築的装飾や神殿内部の装飾を手がけた。彼は職人たちを親方と職人からなる小集団に組織化し、合言葉や符牒の使用させるなどの工夫によって見事に神殿を完成させることに成功した。フリーメイソンはこのヒラム・アビフをソロモンの神殿とともに重要な象徴としている。 1756年版「フリーメイソン憲章」の伝える伝説によれば、ソロモン神殿の建設に際しフリーメイソンの伝統に従って、ツロの王ヒラムとソロモン王との間でグランド・マスターの最高会議がつくられ、賃金大系や労働条件について規定する唯一マスター・ロッジが設置されたという。ソロモン王が不在の場合は神殿建設の最高責任者であるヒラム・アビフを代理グランド・マスターに指名し、不在でなくとも首席大首長として、二人の王と同等の権力と尊敬を付与された(ヒラム伝説については後にも述べる)。これがフリーメイソンの内部で伝えられている伝説的起源と歴史である。これが歴史的事実かどうかは分からない。 伝説ではなく歴史的な意味で、フリーメイソンの起源に関し現在もっとも有力視され、かつフリーメイソン自身も支持しているのが、中世の石工職人組合ギルドに端を発するという説である。この説によれば、フリーメイソンは「自由な石工」即ち建築技師達の職業組合のようなものだった。当時の建築技師は、キリスト教の大聖堂、修道院、宮殿などの建築、増築、修復などに数十年あるいは数百年もの年月要するプロジェクトに関わっていた。職人たちは技術と権利を守るため、仕事の方法を秘密にし、仲間内での握手の方法や独自の用語などに暗号を考案していった。こうした組を束ねるギルドが構成され、親方と呼ばれる人物の指揮のもとに作業が進められていった。やがて、「ロッジ」と云われる扶助組織が作られた。になった。フリーメイソンは、石工職人組合の機構を継承した。フリーメイソンのテキストに必ず鏝と直角定規とコンパスがデザインされているのはこの由来による。 ちなみにロッジという言葉は13世紀頃に登場し、フリーメイソン』という言葉は14世紀頃から使われるようになった。しかし、フリーメイソンのロッジがどのように誕生し、発展し、その形態を整えていったのかとなると多くは謎に包まれており、諸説入り乱れている。 |
| 【中世フリーメーソンの起源と歴史】 |
| フリーメイソンは、キリスト教の教徒組織に由来する。フランスの「巡歴職人団」、グノーシス、カバラ、テンプル騎士団、ヨハネ騎士団がフリーメーソンを生み出したと考えられている。特に、テンプル騎士団、イエズス会、薔薇十字会の規約、組織形態が酷似しており、繋がりの深さが判明する。 この頃、フリーメーソンは錬金術に並々ならぬ関心を見せていた。ポール・ノードンの「フリーメーソン」ではヘルメス思想や薔薇十字思想とフリーメーソンは関係をもっていたとされている。 以下、明治大学商学部教授・越智道雄「秘密結社−アメリカのエリート結社と陰謀史観の相克」を参照する。 テンプル騎士団は、十字軍時代、聖地エルサレムに参詣に行く巡礼者を保護するために創設された軍事修道会で、普通の修道会の「清貧・貞潔・従順」のほかに「武器による聖地の守護・巡礼の保護」を誓っていた。この騎士団は、イスラム軍を打ち破り、ヨーロッパ各地に凱旋して、市民の熱狂的な歓迎を受けた。騎士団はどんどん入団者を増やし、ヨーロッパとエルサレムをつなぐ「巡礼領域」において一大勢力に発展した。ます。 騎士団は巡礼者の守護に力を注ぐばかりでなく、東方諸国との交易にも熱心で、特に、1291年のアクレ(イスラエルの北東の港町)の陥落で大儀名分を失ってからは、船団を駆使した貿易で利殖活動に専念し、ヨーロッパ全域に膨大な資産を築いた。特にフランスでは、広大な領土を擁し、修道院と城を兼ねた1万もの拠点を持つに至った。 騎士団は各国にその本部を置くようになると、その莫大な富をもとに貸金業を行ない、国王にさえお金を貸した。こうした騎士団の勢力の伸張ぶりを快く思わなかったのがフランス王フィリップ4世で、彼は教皇クレメンス5世に強く働きかけ、この騎士団の迫害を始めた。宗教裁判にかけ、残忍な拷問によって自白を強要し、二千人の騎士たちが火刑に処せられ、財産の多くも没収されました。1311年、テンプル騎士団は、ヴィエンヌ公会議において公式に解散させられた。 |
| 【近世フリーメーソンの起源と歴史】 |
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1599年にスコットランド最古のロッジがあったという記録もある。『古代憲章』と呼ばれる憲章には、1388年にはすでに、イングランドおよびスコットランドにフリーメイソンが存在していた、と述べられている。 中世末期から産業革命にかけて、地主が集約農業を目指して「教区」を破壊するエンクロージャーを開始すると、台頭してきたブルジョワジーが自分たちのロッジを建設し始め、フリーメーソンの中で階層分化が起こった。ブルジョワジーは、産業革命の中心を担ったイングランド人(=アングロ・サクソン)だったので、イングランドのロッジは彼らが中心、スコットランドのロッジは従来通り職人や労働者が中心となった。 その、各地にできた拠点を「ロッジ」とよび、ロッジに登録されたメーソンを「公認メーソン」とよぶ。「人類の改造、世界の楽園化」を志し、入会儀式。この儀式がカトリックから異端、危険視された。秘密結社的。但し、ロッジの活動がしだいに異なってきはじめた。 |
| 【「メーソンの教皇」と呼ばれたアルバート・パイクの予言】 | ||||
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鬼塚五十一・著「フリーメーソン世界帝国への野望」(フットワーク出版、廣済堂、1999.9.25日初版)を参照する。 「メーソンの教皇」と呼ばれたアルバート・パイクは、第一次世界大戦が始まる43年前、帝政ロシアの解体の予言をしている。ガリバルディと共にイタリアの高位メーソンとして暗躍したジュゼッペ・マッチーニに送った秘密の書簡(「アルバート・パイクの書簡」)(現在、大英博物館に保管されている)には、次のような予言がメッセージされていた。
鬼塚氏は概要次のように解説している。1912年、フリーメーソン最高指導部でオーストリア皇太子暗殺が決定された。同年9月、皇太子夫人に「大公は、王位につく前に死を迎える『有罪判決』を受けた」と通告した手紙が残されている。1914.6月、オーストリアの皇太子がサラエボで射殺された。今日判明していることは、第一次世界大戦を引き起こしたサラエボ事件がフリーメーソンによって仕掛けられたということである。事件を引き起こした犯人は捉えられ、大反逆罪裁判に付されたが、被告カプリノヴィッチ、ガブリロ・プリンチップは、サラエボで開かれた公判でフリーメーソン員であることを告白し、セルビアのメーソン・ロッジ「ナロドナ・オドゥブラナ」(人民防衛軍)が暗殺計画に基づき実行したことを暴露した。更に、計画責任者がセルビアの指導的高位メーソンであるラドスラブ・カズィミロヴィッチであり、他にツビロヴィッチ、グラベス、ツィガノヴィッチ、陸軍少佐ボヤ・タンコシチなどが関与していたことを証言した。 サラエボ事件をきっかけに第一次世界大戦が始まった。オーストリアがセルビアに宣戦布告。ロシアがセルビアを後押ししてオーストリアに宣戦。ドイツ、フランス、イギリスが参戦して、最終的に、トルコ、ブルガリア、日本、アメリカをも巻き込み世界大戦へと拡大していった。この間、1917.3月、ロシアでメンシェヴィキ革命が起こり、ロマノフ王朝が滅亡させられた。更に、11月、ポルシェヴィキ革命が起こり、世界初のソビエト政府が樹立された。1918年、ドイツの降伏によって終結した。歴史は、バイクの予言通りに動いた。 パイクは、第二次世界大戦が始まった1939年の68年も前に、次のことを予告していた。
歴史は恐ろしいほどにバイクの予言通りに進行した。 パイクは、第三次世界大戦を次のように予告している。
アルバート・パイクの書簡は、第三次世界大戦後の世界を次のように綴り、メーソンの恐るべき宗教的体質を露呈している。
第三次世界大戦後の世界の荒廃の後、サタン・ルシファーを唯一の神として、みずからの世界帝国と世界宗教を築き上げようとしていることが判明する。 |
| 【現代フリーメーソンの起源と歴史】 |
| こうしてフリーメーソンは第二次大戦後は活動の一部をおもてに出すようになってきた。集会もニュースになった。1971年のパリ・コミューン100周年記念開放白会、1987年にミッテラン大統領がエリゼ宮にフリーメーソン代表団を迎えて演説をしたことなどは、かなりよく知られたニュースであった。ちなみにミッテラン大統領はフリーメーソンにかなり親近感を抱いていたようで、本書によると、エマニュエリ社会党第一書記、デュマ外務大臣、ジョックス国防大臣などの側近がフリーメーソン会員だったらしい。 いま世界中には約800万人ほどのフリーメーソン会員がいるという。これからフリーメーソンがどんな活動をするのか知らないが、そろそろ日本でもフリーメーソン情報が解禁されてもいいようにおもわれる。 ところで本書は「知の再発見」双書のうちの一冊である。ぼくはこの双書が好きで、翻訳が出る前に目ぼしいものはフランスからとりよせていた。 いまは戸田ツトム君の念入りのレイアウトによって大半が日本語で読めるようになっている。手軽な双書であるけれど、その図版の選択の精度、一定の叙述水準、資料の提示の仕方など、かなり編集的な充実がはかられている。お薦めだ。 参考¶フリーメーソンについては怪しげな解説書も少なくないが、以下のものはなんとか読める。ただし各書ともに少しずつ"事実関係"が違っているので注意。ポール・ノードン『フリーメーソン』(白水社文庫クセジュ)、マンリー・ホール『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院)、吉村正和『フリーメイソン』(講談社現代新書)、湯浅慎一『フリーメイソンリー』(中公新書)、W・カーク・マクナルティ『フリーメーソン』(平凡社「イメージの博物誌」)、キャサリン・トムソン『モーツァルトとフリーメーソン』(法政大学出版局)など。 |
| 【現代フリーメーソンに纏わる諸事件】 | |
| 1978.7月、イタリアで、フリーメーソンの主導権を廻る内ゲバが発生した。「パノラマ」、「エヌソプレッツ」両誌に「世紀の闘い」という記事が載り、明るみになった。首領リチオ・ジェツリ率いるP2支部(イタリア全土に9百余の支部、2〜3万人の会員を持ち、イタリアのフリーメーソン支部の最大勢力)によるフリーメーソンとイタリア政界を牛耳る陰謀劇であった、とされている。この煽りを受け、1981.5.26日、官僚3名までもがP2の秘密メンバーだったことが判明し、フォルラニ内閣が崩壊した。「ジェツリの背後の超ボスあるいは秘密機関」の存在が詮索されているが、未だ謎となっている。 1979.2月、イランのホメイニ政権が、国内のフリーメーソン弾圧に乗り出し、次のように批判している。
イラン革命後、ホメイニ政権は、フリーメーソンのみならずユダヤ人の迫害を開始した。 |
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(私論.私見)