| 補足(9) | 「統一労組懇」運動について |

宮本が狙っていたのは社共逆転。掛け声は保革逆転、本音は社共逆転。「この頃革新でなくなった社会党は云々」、「社会党の裏切りと利敵行為云々」
1975(昭和50)以来、統一労組懇。
1979(昭和54)6.12日、統一労組懇が、「労働戦線の真の統一のために」と題する声明文を発表。基本方針として、労働組合の「資本からの独立」、「政党からの独立」を確立し、階級的自主性の堅持を呼びかけていた。
1979(昭和54)9.10日、10月の衆議院選挙を前にして、宮本委員長が、都都道府県委員長を党本部に集め、次のような社会党批判をしている。「今や、統一戦線結成の妨害者となっている社会党に対する厳しい批判が必要である。社会党の裏切りによって、革新自治体は音を立てて崩壊している。つい最近では東京の例がそれを物語っている。革新統一戦線が結成されれば、保守勢力に大きな打撃を与えることが可能な時期に、社会党の不決断がその妨害となっている。今度の総選挙で、社会党は国民に対する泣き落とし戦術で現議席の防衛に賢明になっている。我々はこの社会党の弱腰をけりつけ、『大阪、京都、横浜、そして東京の裏切りを反省せよ』のスローガンで、社会党の姿を国民大衆に大きく印象づける必要がある。社会党を徹底的に叩くことによって、『真の革新は共産党だけ』を全党組織を挙げて訴えよう」。
1979(昭和54)10月頃、常任幹部会内に「社会党関係特別対策部」を設置し、社会党はもちろん、党内党の社会主義協会や総評、社会党傘下の大衆団体に対する調査及び工作機関活動を始めた。メンバーは、責任者・上田耕一郎、部員・戎谷春松、岡本博之、小林栄三、高原晋一、下司順吉。
1979(昭和54)10.17日、九中総が開かれ、宮本委員長が、「新しいナショナル・センターの必要」をぶち上げた。11.19日九中総が開かれ、宮本委員長が、「来年1月の党大会でナショナル・センターのあり方に鋭い問いかけと対応の方針を示す」と指針。
1979(昭和54)11.1日、総評が「単産委員長・書記長・地評代表合同会議」を開催し、共産党系の5単産(全日自労、運輸一般、新聞労連、日本医労協、国公労連)の統一労組懇の動きを批判。
1979(昭和54)11.4日、総評の槙枝議長、富塚事務局長と社会党の飛鳥田委員長との会談が開かれ、社公中軸路線へ動き始めることを打ち合わせした。
1979(昭和54)11.5日、日曜日にもかかわらず共産党本部で、「統一労組懇中央グループ会議」を開き、統一労組懇が「真に労働者の利益を守るナショナル・センターのあり方で全国的討論を」という呼びかけ文を打ち合わせ。
1979(昭和54)11.6日、統一労組懇の世話人組合が、「真に労働者の利益を守るナショナル・センターの在り方で全国的討論を」の呼びかけ文を発表、この呼びかけの趣旨に沿って、11.21日からの三日間、熱海市の暖海荘に組合幹部、活動家を集め「学習交流大集会」を700名で開催。「真のナショナル・センターの確立」を訴える発言の大合唱し、「ナショナル・センター懇談会」準備会発足を取り決め、更なる組織の拡大と80春闘は総評と別行動をとることを決議した。
この後共産党本部で中央労働組合部の部会を開き、常任幹部会委員・市川正一(書記局次長、大衆運動局長)、幹部会委員荒掘広(労働組合部長)らが「熱海集会」の総括を行い、次の6項目を秘密決定した。
| 1 | 現在27都道府県にある統一労組懇の地方組織の拡充。これらの組織を、。現在の地評に代わる地域的労働センターとして発展させるように強化する。 |
| 2 | 来年の春闘では、統一労組懇独自の旗を立て、中央、地方で統一行動を組織する。これらの行動を通じて、総評指導部の右翼的路線転換の事実を宣伝し、真のナショナル・センター確立の必要性を訴える。 |
| 3 | 統一労組懇の周囲に、学者、法律家、知識人などを結集させ、「ナショナル・センターのあり方懇談会」の準備会を発足させ、近いうちに正式の会として結成させる。この組織も各地方にもつくっていく。 |
| 4 | 来年の春闘、参議院選の時期を通じての行動で、統一労組懇、「あり方懇」の二つの組織による国民的盛り上げで、社会党と総評指導に最後の反省を求める。 |
| 5 | その反省が無い場合、参議院選の情況を見ながら、もっとも適切な時期に、統一労組懇を新ナショナル・センターに発展させ、労働中央団体の結成に踏み切る。 |
| 6 | 新中央労働団体を結成する場合、50単産、150万名規模の加入を第一組織目標とする。 |
1979(昭和54)12.3日、総評第2回拡大評議会。槙枝元文・総評議長が、冒頭挨拶の中で、「総評の『右寄り路線』に批判を強めて、新しいナショナル・センターをつくろうとしている」共産党の動きに対して激しい口調で非難した。公明党問題が介在していたが、「独善的」、「その発想には、民主主義のかけらもない」、「独裁にさえ通ずる」。翌日のセミナーで、大阪に統一労組懇が出来たことを指して、「これは分裂主義であり、厳正に追及して活動をやめさせなければならない」とも述べた。
これに対して、市川書記局次長名で、「反共『社公中軸』路線に対して高まりつつある国民と民主勢力の批判をかわすための欺瞞と詭弁に過ぎない」、「今後も必要な批判を行う」と反論。大阪統一労組懇も抗議声明を発表し、非難を応酬、共産党と総評は泥仕合に突入した。
1980(昭和55)1月現在、統一労組懇の加盟組合は、29単産であった。主力単産は、5単産(全日自労、運輸一般、新聞労連(民放労連)、日本医労協、国公労連)に加えて、全農協労連、全損保、自交総連、全動労、日高教の計10単産の67万人。
この時期の労働組合中央団体の勢力は、総評が50単産、455万人、同盟が31単産、220万人、中立労連が10単産、130万人、新産別4単産、6万人。