| 研究1 | 【事件へ至るまでの歩み】 |

(最新見直し2007.3.7日)
| 【「善隣学生会館」とは】 |
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事件の舞台なる「善隣学生会館」とは、戦前旧「満州国」が日本への留学生のための学生寮として旧「満州国」政府拠出の財団法人満州国留日学生補導協会が建設し、運営していた建物である。この「満州国留日学生会館」が戦後になって外務省に移管され、1953(昭和28)年に設立された財団法人善隣学生会館が日中友好を進める目的で引き継いだ鉄筋5階建ての建物であった。 「善隣学生会館」は、1965年頃までは日中共産党の友好関係により円満に利用されていた。ところが、1966.3月の毛・宮本会談で、日中共産党の歴史的決裂が刻印された。その直後、中国で文化大革命が発生し、それと共に両党共産党の関係が急速に悪化し、断絶状態に陥った。こうして、日中友好運動に大きな混乱が発生し、「善隣学生会館」はその影響をまともに被ることになる。 |
| 【日共の日中友好運動への敵対開始される】 |
| 日中両共産党の歴史的決裂は、各界へ様々の影響を及ぼすことになった。日中友好協会をはじめ日中友好関係諸団体の中にも、それまで日共党員が多数所属していた。日共は、これらの団体に所属する党員たちを通して、その団体に対し日共の反中共方針を押しつけにかかった。この場合、当時の実情からして反中共が反中国となり反日中友好となるのは自明だ。 日中友好協会はここに大きな苦悩を抱えることになった。日中友好協会は、特定の政党に属する団体ではなく、日中友好の発展を願う各界各層の人たちによって結成されている大衆団体である。政党でいえば当時、社共両党から自民党に所属する人たちまで参加していた。そのような性格の団体に対して、中共と日共の方針が露骨に持ち込まれ始め、大混乱となった。中共と日共は互いに互いを大衆団体に特定の路線を持ちんだとして批判していくことになったが、最も苦境に立ったのは友好協会に所属していた日共党員であろう。中国政府が支持するのは中共系日中友好運動であるから、これに団結するのか日共の方針に従うか、板挟みの苦しい立場に追い込まれることになった。 そのころ、日中友好活動の分野でどんな問題が起きたか、わかりやすい一、二の例をあげれば、まず中国との交流。1965年の成功に続いて66年に、中国で第2回日中青年友好大交流が開催されることになり、中国から800人にのぼる招待を受けた。日中友好協会や日本青年団協議会など関係諸団体で派遣準備活動をはじめたところ、日共が参加に反対する方針をとったばかりでなく、日共の指示に従った団体が、参加を阻止するためにいろいろと妨害工作を行った。佐藤内閣にとっては、もともと許可したくない大規模な青年代表団の派遣に関して、招待された関係団体の内部で対立が起きていることは、もっけの幸いであった。9月、いっさい旅券の発給を認めない方針が決定された。 この年11月から12月にかけて、日中双方の貿易関係諸団体の主催により、北九州市と名古屋市で中国経済貿易展覧会が開催されることになり、日本側では貿易関係諸団体と日中友好協会などで協力会を結成し、半年ほど前から準備活動をはじめた。ところが、日共が同展に協力しない方針をとるとともに、関係団体に所属している党員を通して、規模を大きくさせないとか、展覧会場で「毛沢東選集」をはじめ中国を宣伝する書籍の販売や展示をさせない、などの妨害工作を行った。党員たちの中には、日中友好協会や国際貿易促進協会など日中友好関係諸団体で、重要なポストについている人物もいるので、彼らの言動が関係者たちに与える影響も少なくはなく、このため現地ではさまざまな混乱が起きた。 日中友好協会の中では、日共指導部のとる方針に疑問を抱く幹部たちが情勢を憂慮していたが、8月の段階では、まだ最悪の事態を避けようと努力していた。8.20日の毎日新聞が、日共の動向をもとに「日中友好協会、分裂へ」との見出しの記事を掲載したときも、宮崎世民理事長が8.22日、会員の動揺をおさえるため「日中友好協会に対して、何の理由もなしに中国との交流をやめろということは、豆腐屋に豆腐を売るなというのと同じであって、共産党がそんなバカな指令をするはずはありません。……どんな干渉も、圧力も、デマも、日中両国民間の友情を破壊することはできません」との趣旨の談話を発表した。 |
| 【呼びかけ「22氏声明」】 | |
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9.26日、各界の著名な人びと32名(黒田寿男、中嶋健蔵、堀井利勝、小林雄一、佐々木更三、坂本徳松、元法政大学総長・大内兵衛、立命館大学総長・末川博、評論家・亀井勝一郎、法律家・海野晋吉、歌人・土岐善麿、写真家・木村伊兵衛、大阪外語大学学長・金子二郎、文学座・杉村春子、俳優座・千田是也、日中文化交流協会理事長・中島健蔵、前総評議長・太田薫、総評事務局長・岩井章ら)が、内外の諸情勢がきわめてきびしいときに、日中友好運動が分裂するような事態になってはことが重大だと考え、「内外の危機に際し、再び日中友好の促進を国民に訴える」との声明(「三十二氏の声明」)を発表、名指しは避けながらも日共指導部に対し、反省と自重を求めた。
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| 【その後の対立】 |
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同9.28日柏木日中友好協会福岡県連副会長は、記者会見で、小林重光同県連事務局長、梶原允同理事長らを「悪質幹部」として「追放」したという「声明」(「日中友好協会福岡県連合にたいする悪質な分裂策動を断固粉砕しよう」)を発表。趙安博中日友好協会秘書長は、訪中経済友好視察団にたいして「現在の日中友好協会のなかの一部は、反中国である」と語る。 同9.30日、廖承志事務所主催の中華人民共和国創立17周年記念レセプショ<ンで、孫平化同事務所東京駐在首席代表は「日中友好がこれまで発展したのも毛沢東思想の<みちびきによる」と語る。 10.5日、郭沫若、劉寧一、廖承志ら52名の中国各界の大衆団体代表が、「32氏の声明」に応える形で支持声明「中国各界、各大衆団体代表五十二氏の声明」を北京で発表した。続いて、国慶節に参加した日中友好協会代表団、アジア、アフリカ連帯委員会代表団は10.12日、中日友好協会代表団、中国亜非団結委員会代表団との間に共同声明が調印された。 10.5日、日中友好協会東京連合会第4回常任理事会、「統一と団結を守り、日中友好運動を発展させる決議」を発表。北京で中日友好促進の大集会で廖承志中日友好協会会長は「最近、一部の人たちは、口先では中日友好をとなえながら、行動のうえでは、米帝国主義、ソ連現代修正主義、日本反動派とグルになって、中日友好にやっきになって反対している。これらの人びとは、実際には中日友好に反対する隊列に参加している」とのべた。 10.20日、人民日報が、「中日友好協会の各地の指導者は、日中両国の友好協会の共同声明を熱烈に歓迎している」として、「一切の障碍をとりのぞき、日中友好運動は大きな発展をとげるだろう」と報道。 |
| 【原水爆禁止世界大会へ波及】 |
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また昨年七月の原水爆禁止世界大会において今までと違った路線が打出され、修正主義者の世界民青連の代表を強引に参加させたために、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ等の16ヶ国代表(外国代表の大多数)が大会から退場した。同じころに、日中青年大交流の参加をめぐって、各団体の中で日共党員による参加阻止の動きが活発になり、「民青」が不参加を正式に表明するに至って、妨害者に対する闘争が表面化した。そして「民青」を除く、日中友好協会を始め殆んどの友好団体、労組が参加を決定した。中日友好運動、貿易促進運動に対する妨害、破壊活動はこれで終わったわけではなく、むしろ益々熾烈になり、北九州−名古屋で開かれた中国経済貿易展覧会に飛火し、日共党員による、計画的で悪質な妨害、破壊活動が行われた。十月二十五日、日中友好協会が分裂したのをはじめ、日中貿易促進会、アジア、アフリカ連帯委員会、日本ジャーナリスト会議、ジャパンプレス、中国婦人をお招きする会、等々が次々と分裂した。 一方華僑の文化事業の一つである「亜細亜通信社」に対する日共党員による、妨害、破壊活動が公然と行われ、11.14日、遂にストを以て「亜細亜通信社」を徹底的に破壊しようと企んだ。しかし良心的な真に中日友好を願う日本人民と愛国華僑が一致団結して、これらの破壊分子を排除したが、かれらは一層狂気じみた卑劣な手段をつかって引続き外から破壊活動を行っている。 この様な事態が起ったのは決して偶然ではない。中国共産党のソ連現代修正主義指導グループに対する一連の批判論文でも明らかな様に、米帝国主義のベトナム侵略に対するソ連の態度は、表面でベトナム人民の抗米救国の闘争を支持すると言いながら実質的には米帝国主義と結託して、欺瞞的「平和交渉」をもてあそんでいる。さらに、こともあろうに、ベトナム人民の強固なうしろだてとして、最大の民族的犠牲を払ってもベトナム人民を支援する7億中国人民に対し、ソ連修正主義はそのさまざまな新旧追随者を従え、米帝国主義と結託して反中国一大キャンペーンを展開している。 さらに彼らは、自らの革命に対する裏切りを押しかくし、世界人民の眼を誤麻化すため、ベトナム「支援」の「共同行動」を提唱している。革命を支持し、正義の闘いを支持する中国人民が真向からこれに反対するのは当然である。ところが日共は、口ではソ連の修正主義に反対するといいながら、実際はこのように革命を裏切ったソ連の主張に同調、ソ連をも含めた「国際統一戦線」を提唱、自らの変質を隠すため、「共同行動」に断固反対する中国を陰に陽に避難し、さまざまな形で卑劣な非難を弄し、中日両国人民の交流と友好関係を破壊しようと企み、その反中国運動は益々露骨を極めている。 |
| 【中共系の日中友好運動への必死の取り組みと日共系の妨害】 | |||||||||||||||||||||||
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これらの真に中日友好運動の基本方針を決めた諸声明が日共の拒否する処となり、友好運動の分裂が形の上でも表面化した。今、日本全国で真の中日友好を勝ち取る為に中日友好を妨害し破壊する反動勢力に対する闘いが日増しに熾烈化し、真の中日友好を願う勢力が日増しに増大し、強化されつつある中で幾つかの具体的な例をあげてその実態を紹介しよう。
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| 【日中友好協会に内紛発生、中共系が「日中友好協会(正統本部)」を結成】 | |
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以降の歩みについて、日中出版刊「中国研究」80号(1977年3・4月合併号)併号)の「日中友好協会本部襲撃事件の経過(1966.9〜1967.3.31日)」が時系列に細かくつづっており、これらを参照する。 当然というべきか、日中友好協会中共派が活動拠点たる善隣学生会館から逃亡したことに対して、内部で問題とされたようである。「中国研究」1977年3・4月合併号(80号)所収の「造反団ニュース1号」(1967.2.1日発行)は次のように述べている。
事実、中共系からは、「日共、友好破壊画策会館一角を実力占拠」と見なしており、「このように日中友好事業の破壊を企む日共反中国集団は、善隣学生会館一階西側の一室(日中友好協会本部)を実力で占拠するに至った。彼らは、一般的には“ニセ日中”と言われ、日中友好協会の名を騙って反中国活動を行っていた日共中央指揮下の反中国集団である」(華僑報1999年9月5日「戦後華僑・留学生運動史(149)」)と規定している。 |
| 【中共系と日共系の抗争激化】 |
| 10.26日、日共系は第4回全国理事会で「統一と団結の決議」を満場一致決定。中共派の〔日中友好協会(正統)本部〕は、「理事(正統)懇談会、今後の方針を決定」。 10.27日、中日友好協会趙安博秘書長、王暁雲副秘書長は、黒田寿男日中友好協会副会長などに「日中友好協会正統本部を断固支持する」との支持電を送り、その中で「現代修正主義と分裂分子に断固反対して日中友好を貫くあなたがたの行動に対し最大の信頼と断固たる支持を表明する」そして「われわれは友好の旗をうちふり友好に反対するさまざまな現代修正主義とあらゆる往来を断絶し、彼らの仮面を徹底的にはぎ取ることをあなた方に保証できる」と述べた。 10.31日、人民日報は、「日中友好を破壊するものはだれであろうとはきすてられる」と報道。 11.2日、人民日報は、論評「中日人民の友好の勢いを押し止めることはできない」を発表。 11.21日、日共系和田一夫日中友好協会事務局長談話「統一と団結の旗をかかげ分裂策動を粉砕しましょう」を発表。 11月末、華僑青年学生は、中日友好と文化交流を目的にしなければならぬという会館の使用趣旨にもとづいて、「本館は中日友好と文化交流を目的にしており、中日友好を妨害するものがこの会館にいることは全く道理に反している」という意味の大字報をはり出した。 1967.1.1日、「日中友好新聞」が、論評で「いわゆる(正統派)は日中友好運動の破壊者である」と声明。 1.10日、「共同声明」に調印した日中友好協会代表団の一員であった橋本信一氏が、「『共同声明』の調印は誤りであった」という手記を公表。 1.16日、日共系「日中友好協会」は会館二階の会議室で、亜細亜通信社の日共系極東書店労働組合と日中貿促労働組合など諸団体の組合員を召集し、反中国活動を堅持するようテコ入れした。 1.24日、日共の赤旗が、「紅衛兵の不当な非難に答える」という無署名の論文をのせ反論掲載。 1.25日、日中友好協会(正統)内部で宮崎、三好らの官僚主義を批判し、彼らを「実権派」と攻撃する「造反団」が誕生。 1.28日、野坂参三が、「自民党が紅衛兵運動を利用しておこなっている反共宣伝に答える」という談話を発表。 1.29日、「長周新聞」が前掲「大地報」を転載。 1.29日、会館の玄関にはってあった華僑青年学生の大字報(11月末の大字報と同文)が、日共系「日中友好協会」の反中国分子によってやぶられた。 1.30日朝、華僑青年学生は、「大字報を破った卑劣漢を糾弾する」という題で、日修がアメリカ帝国主義、ソ連現代修正主義および各国の反動派と同じ立場に立っていることをバクロした大字報を会館の玄関にはりだした。 同日夕方、日共系「日中友好協会」は、寮の食堂の前と文化室に反中国の脅迫ビラを投げ込み、さらに便所の壁に、「反毛沢東、反紅衛兵」という反中国スローガンをかきつけた。 |
| 【中共系と日共系の暴力事件発生】 | |
| 1.30日、中共系日中友好協会の20名が、擬装解散、不当解雇反対闘争中の日中貿易促進会労働組合事務所を襲う。1.31日、中共系日中友好協会の60名が、前日に続き日中貿促労組事務所を襲う。「第二組合の対外盲従分子ら二十人、不当解雇反対闘争中の亜細亜通信労組員に暴力をふるう」ともある。 この背景を日中友好協会パンフは次のように説明している。
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| 【中共系が奪還闘争を呼号し始める】 |
| 2.1日、「造反団ニュース」第一号発行。このなかで、華僑学生は善隣学生会館内の日中友好協会本部事務所"奪還"を掲げている。「君たち(正統本部)は何をしているのか。大胆に会員と人民大衆に訴え、奪還闘争の先頭になぜ立てないのか」と主張。 2.5日、華僑学生ら新たな壁新聞を貼り出す。「ニセ日中は出ていけ」、「宮本修正主義はアメ帝ジョンソンとソ修コスイギン・日本反動と手をむすんで反中国活動に血なまこになっている」等々と書かれていた。(正統)支部の倉石班、同日中学院支部が、日中友好協会を誹謗するビラをまく。 2.9日−2.21日、日共は、赤旗に中国のプロレタリア文化大革命、紅衛兵運動に対する攻撃の文章を発表するとともに、ほこ先を日本の革命人民と留日華僑青年学生にむけ、暴力をふるうことを鼓舞した。 2.10日、劇団「はぐるま座」の「紅衛兵」、「造反団」を自称するグループ11名が、同劇団争議事務所を襲撃、争議団員を暴行(れんだいこ注真偽不明)。 2.10日、北京において日中文化交流協会代表と中国人民対外文化友好協会代表との間で「文化交流にかんする覚え書き」が調印された。これは西園寺公一氏が署名し、大塚有章が参加した中でおこなわれたもので、文中で日共に対して「日本の修正主義分子」と規定し、批判していた。してみれば、日中共産党の対立が抜き差しなら無いところまで進行しつつあったということになる。 2.16日、赤旗の一面トップに、「中国留日同学会の不当な干渉と非難を断固糾弾する」という日共京都府委員会の文章を掲載。 2.17日、赤旗は一面トップに中国の紅衛兵運動を攻撃した論文「『紅衛兵』のわが党にたいする下劣な攻撃について」を掲載。 2.19日、会館内の日中友好協会(正統)本部倉石(中国語講習会)班および同日中学院支部、後楽寮自治会は、共同主催で、「毛主席、百万の紅衛兵と会見」と、日本の教職員訪中団が撮影した訪中記録フィルムを上映したあと、岩村三千夫氏は席上「プロレタリア文化大革命と紅衛兵」について講演した。 2.19日、赤旗が、いわゆる「暴力による正当防衛」を鼓舞した主旨の主張を発表。 |
| 【赤旗が突如「正当防衛論」掲載】 | |||||||
2.21日、赤旗に奇妙な論文が掲載されている。日共中央委員会法規対策部長・青柳盛雄中央委員(弁護士)が「反党盲従分子の暴力には正当防衛を」なる「正当防衛論」に関する署名論文を発表し、文中で「正当防衛というのはその反撃の結果、相手が傷ついたとしても、それは自業自得であって、傷つけたこちら側には責任はない、罰せられないということである」との扇動的正当防衛論を展開している。これを転載しておく。
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次に、こうした正当防衛権の行使が法的に認められていることを次のように解説する。刑法第36条「急迫不正ノ侵害ニ対シ自己又ハ他人ノ権利ヲ防衛スル為メ已ムコトヲ得サルニ出タル行為ハ之ヲ罰セス」の「已ムコトヲ得サル」の情況を説明し、次のように煽っている。
次のように正当防衛の行使の要領まで言及している。
次に、刑法第36条の第2項の規定「防御ノ程度ヲ超エタル行為ハ情状ニ因リ其刑ヲ減軽又ハ免除スルコトヲ得」の説明に入り、次のように又もや物騒なことを云う。
「断固として上手にやれ」と教唆していることになる。
こうして、「やはり断固として適切な反撃をくわえなければならない」と煽る。「弾圧機関、とくに裁判所などは、刑法の定めている正当防衛の規定を無視することはできない。対外盲従分子が暴力で味方を襲ってきた場合、われわれが適時に適切な反撃をくわえるという実力行使にでたときに、弾圧機関もそれを正当防衛として、弾圧できないし、またわれわれもそれを許さないであろう」と語り、何のことは無い当局との通謀が出来ているから心配するなとお膳立て論にまで言及している。
こういう理論を何と云うのだろう。「相手は弱い与し易い」論であるが、先述の当局との通謀の下りを踏まえると、これはまさに弾圧教唆理論そのものではなかろうか。驚くべき暴論であるが、これが公党である日共の機関紙赤旗紙上に堂々と開陳されていることを凝視すべきではなかろうか。 |
| 【中共系と日共系が一触即発状態に入る】 |
| 2.22日、日共系の亜細亜通信労組員が襲われ、暴行される、とある(れんだいこ注・真偽不明)。 2.24日、日中友好協会会議室で中国映画(「農奴」)鑑賞会開かれる。この入口に華僑学生が「中国人入るべからず」の壁新聞をはっているところを、協会員が発見、追及したところ、「いわれてやった」と述べる、とある(れんだいこ注・真偽不明)。 2.24日、日共系「日中友好協会」は、「第16回日中友好協会全国大会」に出席する反中国分子を動員して、会館内で、反中国活動をおこなった。華僑青年は、この挑発的行動に憤激して「本会館を反中国の目的に使うな!、」「日中友好の旗をかかげて日中友好に反対する破壊分子は会館から出て行け!」などのスローガンをはり出した。 疑問をもった華僑青年は、確かめるために入場を申し出たところ、相手はすぐさま、横暴にも、「君たち中国人は、映画を見たいのなら、『正統』へ行け!」といった。華僑青年は、「日中友好協会」の反中国分子に対し抗議した。深夜十二時、華僑青年の呉平安、林盛雄はその目でニセ「日中友好協会」の腕章をつけた反中国分子が、寮生のはり出した大字報と寮自治会の声明文を破って、持ち去るのを見た。その場で、大字報を返せと要求したら、かれは事務所に逃げこんだ。 2.26日、日中友好協会第16回全国大会が東京千代田公会堂で開かる。この時、華僑学生十数人が同大会に「抗議文」をもって押しかける。また同抗議文を壁新聞にして善隣学生会館にはり出す。 2.27日、後楽寮自治会は、ニセ「第十六回大会」につきつけた抗議文を大字報にして玄関にはり出した。「日中友好協会」の機関紙「日中友好新聞」は、「後楽寮自治会の妨害を排除する」という文章を一面トップに掲載した。 |
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(私論.私見)