不破哲三論総論

 (最新見直し2006.2.20日)

 (れんだいこのショートメッセージ) 
 れんだいこが宮顕論、不破論になぜ拘るのか。それは、この代表的2名によって日本左派運動が捻じ曲げられ、反動的役割しか果たしていないからである。その汚染はあらゆるところへ波及している。このことに気づき、決別し、一掃させたところからでしか左派運動の再生はないと信ずるからである。この観点の認識の共有が欲しい。

 新左翼はこうした日共運動に逸早く気づき批判してきた。そして、条件反射的とも云える対照的運動を繰り広げてきた。しかし、れんだいこに云わせればまだ甘い。宮顕・不破に乗っ取られた日共運動を一応左派のそれとして認め、その上で本当の左派運動はこちらだというスタンスで百家争鳴運動を繰り広げてきた。その結果、心あるものは日共運動を見放したが、かといって新左翼運動が芽を吹いた訳ではない。

 その要因をどこに求めるべきか。「戦後60年の節目」にそろそろ思い致せるべきではなかろうか。れんだいこは、「日共運動を一応左派のそれとして認め」のところが間違いだと申し上げている。宮顕・不破式日共運動は口先はともかく実践的には有害無益な指導ばかりにうつつを抜かしてきたところに特徴が有る。それは異邦人の闖入だからである。早くここに気づいて、一から総点検し、捻じ曲げられた部分を戻さねばなるまい。そして新たな情勢、新たな認識に基づく左派運動を昂進させねばなるまい。以上提言しておく。

 2005.9.21日 れんだいこ拝


 【不破の「日本共産党創立81周年記念講演会講演」について】
 赤旗に2003.7.18日、東京・日比谷公会堂での「日本共産党創立81周年記念講演会」のお知らせが出ている。それによると、引き続き不破議長が党内実権を掌握しているようで、「党綱領の改定について。市民道徳について」なる演題で講演するとのことである。主たるテーマは、「党綱領の改定について」とするようである。

 党創立記念日には「先人の苦労に思いやり、党史上の回顧」をするのが通常ではあろうが、現下党中央はそれを為しえない。れんだいこはそれには理由があると考える。宮顕―不破系が日共の正統系譜を継承していない咎めが「党史上の回顧」を忌避させていると見る。その致命的アキレス腱は、戦後直後から5年間指導し続けた徳球―伊藤律系運動を弁証法的に継承しておらず、つまりは前任者からの引継ぎが出来ていない、その為その運動を正視し得ずただひたすら歪曲的に罵倒することしか出来ないことにある、と考える。

 1955年の六全協は宮顕を再々度党中央に登壇させる形で党内合同を為し遂げた。この時の問題は次のことにある。六全協時点では没理論的に党内合同を急いだため、「50年分裂問題」に対しての総括が宿題として預けられた。この作業は徳球―伊藤律系運動からの党運動を引継ぐ儀式として必要不可欠であった。本来であれば、徳球―伊藤律系運動に対する全肯定派、半肯定半否定派、全否定派が互いの観点を擦り合わせ喧喧諤諤の討議を為すべきであったが、宮顕は自前の全否定論を暴力的強権的一方的に採択させた。それが為に形式的に儀式化を為したものの実質的には本来の意味での引継ぎが何も出来ないことになった。このことが今日的な日共の変質と腐敗の源流となる。

 宮顕がこの総路線を敷いた。不破はこの宮顕総路線の忠実な継承者となった。かくて、宮顕とその後継者不破運動は、戦前戦後と系流してきた日共運動の正統性を継承し損なって今日まで経過している。「党創立記念日には『先人の苦労に思いやり、党史上の回顧』をするのが通常ではあろうが、現下党中央はそれを為しえない」所以がここにある。党創立記念日に「党綱領の改定について。市民道徳について」なる演題で講演せざるを得ない変態性がここにある。少々奇異な「市民道徳について」と付け加えられているのは筆坂失脚事件に関連して言及しようとしているのだろう。以上の俯瞰図を踏まえて、今年も不破がその反動的本性を如何に饒舌に詭弁三枚舌仕立てで語るのかに興味がある。

 このサイトで不破に論及する意味は、現下党中央の行き着いた観のある腐敗に対して、宮顕を起点にしてその後継者であった不破をどう観るのかについて明らかにすることにある。知識標榜紳士は暫く静観して後付けの論を楽しむだろうが、我々は今進行系の最中においてこそ認識を逞しゅうすべきではなかろうか。左派人士にとってこの解明は、現下日共党中央をどう観て関係すべきか、という極めて実践的な課題として屹立していると云えるであろう。

 左派系の多くの者は次のように観ているように思われる。穏和系は、共産党は腐っても鯛であり、民主勢力の砦であり、断固として党中央に結束しながら個々の否定事象には内部的改革を目指すべきであると云う。その対極論として急進系は、共産党はスターリ二スト政党であり乗り越えられるべき解体対象に過ぎないと云う。これを両翼としてその他中間的な見解が多々ある。

 我々は、もはや通俗化したこれら諸見解とどう関わるべきだろうか。今もって未解明なまま徒に時日が経過しているように思われる。なぜなら、この程度の認識ならば、私が学生運動していた70年代初頭の頃の認識と少しも変わらないからである。つまり、あれから三十数年を経過して何ら基本構図が変わっていないということであり、それは認識上何の進歩も無かったということを意味しているであろう。

 もはや、時は、もぐら叩きのように日共見解のあれこれを批判してみても甲斐が無い、長年日共党中央に巣食ってきた変調指導部を一挙的に叩き出すか、新日本共産党を創党するか二つに一つの決断を迫られているのでは無かろうか。

 以上を念頭において、逐次解明を試みようと思う。

 2003.7.5日 れんだいこ拝

【不破の異邦人性について】
 不破を評する視点は次のように定めねばならない。2004.3.3日現在、宮顕・不破系党中央の右派系総路線はことごとく失敗した。こうなると、執行部総退陣して次世代に運動を任すのが見識というものだろう。革命を世上一般の事業感覚で考えてみれば分かりそうなものだ。では、何故に宮顕・不破一派は党中央の座椅子に拘り続けるのだろうか。その右派系総路線の破綻が顕著にも拘らず、更に飽くことなく党綱領の更なる右傾化を強行したのか。この不自然さの背景にあるものを凝視する事が不破論の始発にならねばならない。

 要するに、宮顕・不破系一派は、日本左派運動に責任を持つ姿勢において違うのではなかろうか。左派運動の右傾化ないしは最終的瓦解に向けて責任を持とうしており、それを己の目の黒いうちに為し遂げ反革命事業の目鼻をつけたいとの妄執に浸っている、というだけのことではないのか。これが炙り出されてくる実相であろう。そうであるが故に、通常ならば執行部責任辞職せねばならないところを逆に居直ることができる。なぜなら、日本左派運動が貧すればするほど彼らの事業経営は成功しているのであるから、現下の停滞はむしろ狙い通りなのではないのか。ならばこそ居直りが出来ている、あくまで党中央の座椅子は手放さない。こう読まないと解けない。

 世に不思議な事は、この観点に立たないと不自然な事が多すぎるのに、こう読むことも無く全てを追随し了解していることである。れんだいこなぞは体に支障覚えずにはこういうことを納得できない。多少なりとも違和感を覚えるのだろうか、のんべんだらりとした批判が為されてはいる。しかし、そういう生半可な批判で気持ちが整理できるというのも不思議だ。とてもではないが、れんだいこには真似できない芸当である。

 同じ批判でもれんだいこのそれとは雲泥の差がある訳で、だから、この溝が埋まらない限り日共批判という点だけでの野合はできない。当分平行運動していかないといけない気がする。道遠しの感がある。

 2004.3.3日 れんだいこ拝

 この党中央のことを思案することは既に馬鹿馬鹿しい。しかし、最低限必要なことは記しておかねばならぬ。

 1955年の「六全協」以来、宮顕系が党中央を占拠して既に50年になろうとしている。今日の日共が野坂式の人民に敬愛され大衆政党として良き指導振りを発揮していたとするなら、それは宮顕―野坂総路線のお陰であり、その後継者不破の能力に因る。その反対に共産党という党名に似ても似つかぬ醜態を晒しているとすれば、その場合も宮顕―野坂総路線のせいであり、その後継者不破の能力のしからしめるところである。いずれにせよ、宮顕―野坂総路線は「不破という有能な後継ぎに恵まれ、似ても似つかぬ共産党に仕上げた」ことは確かである。

 その不破が、2002年最新刊として「二つの世紀と日本共産党」を発行した。これが108冊目になるらしい。政界でこれほど著作しているのは中曽根の41冊が続くと云う。れんだいこから見れば、この二人は飽くことなく害悪を流し続ける双璧ということになる。ところで、不破は、宮顕―野坂総路線の二代目であり、意図的に忠実な継承者で宮顕的な面と野坂的な面の両面を継承しているように見えるが、我々は、不破と野坂、不破と宮顕との関係をどのように了解すべきだろうか。

 いずれにせよ不破は、宮顕と云い野坂と云うよりによって碌でもない変調指導者を師としているからして不破も又碌なモンにならない。両人との関係を少し詳細に見ると次のように云えるだろう。れんだいこには、不破と野坂の関係において、不破は野坂の政治的スタンスを丸ごとそっくり継承しているように見える。

 では、不破と宮顕の関係はどうなのであろうか。れんだいこ史観に拠れば、厚顔無恥なまでに私物化的に振舞う政治手法において共通しており、この両者に違いが有るとすればハードとソフトという程度のものであり政治的役割は寸分違わない。つまり、不破の政治理論は野坂的であり、組織理論は宮顕的であるように見える。

 してみれば、不破に対するに宮顕に対すると同様手加減は良くない。そういう観点に立つべきだ。あのソフトスマイルの陰に隠れた裏表のありすぎる行状を的確に認識すべきである。目下、頻りにレーニンに挑みマルクスに挑んでいるが、その本質的観点は片方で持ち上げながら他方でその論の最も精髄的なところを否定しようとするところにある。その三枚舌的詭弁による煙り巻き論法は、読み手をして真意を分からなくさせ、詰まるところ訳の分からないままイエスマンを強いることになる。70歳を越えてのその芸人ぶりは尋常では無いが、その熱情のみ評価されるに足りるだろう。

 このサイトでの論及の意味は、現下党中央の行き着いた観のある腐敗に対して、宮顕を起点にしてその後継者であった不破をどう観るのかについて明らかにすることにある。知識標榜紳士は暫く静観して後付けの論を楽しむだろうが、我々は今進行系の最中においてこそ認識を逞しゅうすべきではなかろうか。左派人士にとってこの解明は、現下日共党中央をどう観て関係すべきか、という極めて実践的な課題として屹立していると云えるであろう。

 左派系の多くの者は次のように観ているように思われる。穏和系は、共産党は腐っても鯛であり、民主勢力の砦であり、断固として党中央に結束しながら個々の否定事象には内部的改革を目指すべきであると云う。その対極論として急進系は、共産党はスターリ二スト政党であり乗り越えられるべき解体対象に過ぎないと云う。これを両翼としてその他中間的な見解が多々ある。

 我々は、もはや通俗化したこれら諸見解とどう関わるべきだろうか。今もって未解明なまま徒に時日が経過しているように思われる。なぜなら、この程度の認識ならば、私が学生運動していた70年代初頭の頃の認識と少しも変わらないからである。つまり、あれから三十数年を経過して何ら基本構図が変わっていないということであり、それは認識上何の進歩も無かったということを意味しているであろう。

 以上を念頭において、逐次解明を試みようと思う。その最初の課題を、宮顕と不破の系譜的関係をどう観るのかに設定したい。実は、これもかなり深刻な違いを見せていることが分かる。A派(穏和系内原理派)は、宮顕の頃を原則的であったと回顧し、不破−志位運動を堕落と観る。B派(穏和系内民主派)はこれとは逆に、不破指導を宮顕の頃の辟易する頑迷さからの解放の動きと観、その改革作業が日和見的であることに不満を見せている。

 残念ながら、共産党支持系左派人士の場合、この両論が圧倒的であり、日共党中央批判者はこのどちらかの延長線上に位置している。奇妙なことに、全く正反対から事象を捉えている割には、この両論は論争されておらず、反党中央という一点で野合さえしているように思われる。これもまた堕落でしかなかろう。

 れんだいこは、新観点を打ち出している。黙殺されて久しいが、痴呆症候群下の左派人士が大量に生み出されている現状からは仕方ないのであろうと合点している。ここでれんだいこ観点を説明すれば、宮顕を左派ではない異筋な闖入者=当局内通者=仮面左翼とみなしており、不破−志位執行部を宮顕路線の忠実な敷設者と観ている。従って、宮顕と不破間には基本的な対立は無くむしろ運命共同体的でさえある、という見立てをしている。

 宮顕が原則的で有り得たように見えるのは、当時は徳球系時代の名残りで取り巻く周りが多少なりとも左派的であったが故に打倒除名するにもそれに規制されて左派言葉で語らねばならなかっただけであろう。それも第7回、第8回党大会で党内反対派を追い出しつつ宮顕式総路線を敷くことに成功して以来は我が世の春となり、誰憚ることなく本質である右派街道へ一直線に向かうことになった。この道中がジグザグしつつ「一定左派的」であったのは、清掃せねばならない「左派」系人士がたむろしており、宮顕系がこれに「聖戦」を仕掛けていったにせよ論駁の必要上相手の土俵まで下りていかねばならなかった故である、と観ている。

 不破が台頭してきた第10回、第11回党大会以降においては既に党内には「左派」系人士は居なかった。不破の役目は、従順にして理論的能力の劣る連中ばかりとなった党内を如何に丸め込み、饒舌に煙巻き論法でなだめすかしながら、宮顕式総路線の本質である「体制内左翼としての右派系運動」にソフトランディングさせていくかにあった。

 この意味では不破は類稀なる能弁人士であった。数多くの学者党員との論争にも一歩も引かず応戦し得た数々の実績を残している。それは単に当の論争相手が軟弱でしかなかったという好都合にも恵まれだけに過ぎないのではあるが。

 不破指導の特徴はそういうところにあるが、それを理論面で裏付けようとするところに不破の潔癖性があり興味深い。但し、その理論たるや饒舌長大文且つ玉虫色見解且つ詭弁のオンパレードであり、理論に何ら信を置いておらずその場の情況に応じてご都合主義で対応するところに特質がある。規定的に云えば、「アリバイ理論的且つマヌーバー的手前味噌論を常用する職業的反対弁舌屋」でしかない。問題は、そういう不破理論の「創造性」に対して、これに批判を挑むものが居らず長年野放しにされているという日本左派運動戦線の不甲斐なさにある。

 この間、宮顕−不破−志位ラインの「錦の御旗」は、議会闘争の重視であり、この路線はその闘争が一定の進展を見せている限りにおいて呪術的信頼を獲得し得ていた。その際に「70年代の遅くない時期までの民主連合政府の樹立」は党員を奮い立たせる格好の「青写真」シナリオであった。よしんばそれが「21世紀前半の遅くない時期までの民主連合政府の樹立」になろうとも、「21世紀後半」になろうとも、党の求心力の要であり、党員間の魔力的な合言葉になった。

 この種の言霊を他にも捜せばあるにはある。例えば「自共対決論」もそうであろう。自民党幹部の時々の言葉を都合良く拾い出して、真に敵足りえているのは我が共産党以外に無いと吹聴することにより、党内に自信と結束を呼び込んできた。同様センテンスで「トロツキスト泳がせ論」も云われてきた等々。

 既に賢明なるロム者にはお分かりいただけると思われるが、今日の党の低迷はそれらの虚構の一切を晒しつつある。それだけに事態は深刻だということだ。問題は、党中央がこの危機感を正確に把握しているにも関わらず、党内反対派が居るとして連中の方がこの危機感を正確に把握していないことにある。先述したが、宮顕−不破−志位ラインの相互関係の読み間違い故に党中央の危機感を読み取れず拱手傍観、単なる不平をこぼす程度に止まっているやに見受けられる。

 不破の妄執は、この危機感に対して隙あらば創価学会−公明党批判で切り抜けようと策している。このことは二つのことを意味している。一つは、危機感を正当に理解しているもこの危機を脱却する自力更生的手法を持っていない事、一つは日共を食い散らしたその成果に立って創価学会−公明党対決をもって氏の右派化闘争の最後のご奉公の場にしようとしているという事である。この背景も分からないままに再び三度踊らされようとしている党員の憐れさよ。

 問題は、この期に及んでも為すすべを持たない左派人士の理論的低迷にこそ真因がある。「革命的理論無ければ革命的闘争もない」はこの意味でもけだし名言であろう。理論戦線の貧困が行動を制約しているこの現実を見据え、左派人士は互いの観点を早急に擦り合わせねばならない。それは丁度、大東亜戦争の総括の喫急性とも通底する論理の流れであるように思われるがいかがであろうか。

 2001.8.20日 れんだいこ拝

 今日、仮にインターネット空間に限定したとしてさえ、日共系人士の狭い了見が目に付く。著作権金棒の振り回しもそうだが、彼らは言論の自由な通行に網をかけることを当然視しようとしている。あるいは大東亜戦争の戦史考察もそうだが、決して真っ当な議論に踏み込まない。何気ないときには紳士的な対応を吹聴し悦に入っているが、混み入ってくると罵詈雑言罵倒用語を平気で乱発し始める。

 冤罪事件の解明ないしは支援に向うのではなく、検察になったつもりで有罪法理を説くことを得意とする。その昔述べた言説に平気で頬被りして新たな論の展開を好む。この間自己批判というのはついぞ無い。政治的位置付けを重視し、事の理非曲直を聞き分けするのではなく、敵か味方かを判断の優先基準にする。

 れんだいこは、こうした癖は保守的体質として批判すべき対象として習ってきた。ところが、今日ではこの体質を最も体現しているのが日共系のように思えてならない。敢えてそう書くのは、この体質の鼓吹者が宮顕―不破系では無かろうか、とても共産党員とは似つかわしくない者が党中央に陣取り、言葉だけ格好つけてその実裏腹な行いをするから、その攪拌作用としてこういうことが起っているのではないか、という気がしており、この感覚を世に問いたいからである。

 我々の身の回りに接する共産党員の個々にはなるほど良い人もいるかも知れない。しかしだ、1955年の六全協以来だから既に50年近く変調論理ばかり押し付けられたら、そも善良な党員も何らかの疾患を抱えずには平常で居られないのではなかろうか。選挙一つそうだ。科学的社会主義を自称しながらとてもではないええ加減な総括しか出来ない。それで党内に問題が起らない。この体質は何なんだ。自民党の総裁選について立候補者に対する論評ができなかった。それはそうだろう、論ずれば、お前の党はどうなんだ、党首選があるだけでもましだろうと切り返されたらグーの音も出やしない。

 2003.9.21日、東大阪市会議員(定員50)選挙が行われ、自民党が11から18議席に、公明党が12から14議席に、民主党が5議席、日本共産党は11議席から5議席に後退、新社会党の松平要氏と解放同盟全国連合会の坂口克己氏が当選した。この不都合な結果に論評が出来ない。恐らく、投票数も投票獲得率も議員数も等々全ての数字で言い訳無用の結果が出ているので、今までのように何か一つ取り柄のところを吹聴するということさえできないのだろう。それでダンマリという訳だ。

 そして総選挙で後退しても大敗しても「捲土重来」を云えば済まされる。その昔野坂は、「ブルジョア政党のように安易に責任を取らないのがプロレタリア政党の良いところだ」と居直ったが、そんな屁理屈は無かろうにこれが通用する。党員が自分の党中央に批判の言葉を提起できない、集団強訴出来ない仕掛けにされているからであろうが、この仕掛けを受け入れる方にも問題があろうに、ここを突けない。

 こんな日共に誰がしたんだ。これが云いたい訳。不破は長年のトップとして重過失がある。その不破が党綱領を又も姑息なやり方で変えようとしている。あちこちで整合しておらず、現実感覚とも乖離しており、ただひたすら穏和式運動に流し込むだけの不破式綱領を採択させて置土産と云う魂胆だろうが、歴史的正義がどこにも無い。あるのはただ妄執のみである。間もなくその綱領が採択される運びとなっている。汝党員ら愚かというも哀れなり。

 2003.9.24日 れんだいこ拝




(私論.私見)