補足(17)1 「不破哲三」なるペンネームについて

 (最新見直し2006.8.8日)

 れんだいこは、「不破哲三」というペンネームに氏の特異な政治的スタンスを嗅ぎ取ろうとしている。以下はその考察である。


【「不破哲三」というネーム考】
 不破にまつわる疑問をも書き残しておきたい。不破の本命は上田建二郎であり、上田耕一郎の弟と記憶する。党員名ないしは雑誌上でのペンネームは広く愛用されているところだからして疑問は無いとして、不破の場合国会議員名でも使用されている。不破が国会議員になった時点に於いて、ペンネーム名で国会議員に成り得るのは広く認められていたことだろうか。れんだいこは、不破のほかには知らないので、どなたかご教示頼む。その際許容される基準についても知りたいとも思う。

 もう一つの疑問は、この「不破哲三」というネームがいつ頃から使われ始め、その際に秘せられた思いは奈辺にあるのだろうかということである。人が本名に替える別名を使用する際には、かなりの思い入れがあるのが通常であろう。さすれば、「不破哲三」にはどういう意味があるのだろう。

 れんだいこはある時ふと浮かんだ。これは「右派に徹するぞぉ」の略語では無かろうか。「右派=不破」、「徹する=哲」、「ぞぉ=三」という、当時の思想戦線における上田建二郎の決意宣言をレリーフさせたネーミングでは無かったか。時節は、左派的な島、生田らのブント運動の勃興期と対応している。かの運動に徹底して闘うという決意表明では無かったか。

 あるいはもっと広く日本共産党運動を、コミンテルン拝跪型の国際共産主義運動に落とし込めるのではなく、民族主義的な国内運動として自立させるという意思を込めたものではなかったか。問題は、そういう自主独立的な動きを徳球運動的急進主義的大衆路線でやるのではなく、もっと穏健な秩序ある支配階級から見て聞き分けの良い議会専一主義的な運動へと流し込むことを念願させていたのではなかったか。あるいは、国際共産主義運動ではなく、国際シオニズム運動を担うシオニスタンとしての誓約を公言しているのではないのか。

 この観点は、宮顕の党活動の始発観点と直通する。恐らく当局の誘導もこれを眼目としていた。してみれば、その後の「不破哲三」は、その名の通りに右派街道及びシオニスタン的忠誠の道をひたすら歩み続けたことになる。そういう意思を強く持って党中央に参内し、トントン拍子にその階段を駆け上り、以降宮顕と二人三脚で君臨してきたのが不破の党活動の軌跡である。

 そのなれの果てが今日の日共の古色蒼然たる形骸化であるが、当人がこれに痛痒を覚えていない不思議さが上述のネーミングの解読により不思議さで無くなる。今日最後の気力を投じてレーニンの右派主義的な取り込み考をしているようであるが、これも不思議ではなくなる。

 この憶測は正確を得ているだろうか。

 2002.5.23日、2006.3.15日再編集 れんだいこ拝


 2003.2.14日、日共の不破議長が「国会議員次期出馬せず」表明を行ない、名誉議長の閑職を自ら選ぶことになった。例によりその右派路線の最後の集大成に邁進していくことになるだろう。ソ連邦解体に接して過去の言説に頬かむりはものかは右翼顔負けの「崩壊して良かった論」で口を拭い、スターリン批判からレーニン批判へと向い、いよいよマルクスにまで辿り着いたようである。その論が値打ちあるのならともかくとても食えない。一言でいって、修正主義から投降主義へと発展させ「体制内左翼」として秩序づける為の便宜理論を創造せん、とすることにあるやに見える。




(私論.私見)