| 補足(14) | 先行社会主義国家に共通する不公正党内選挙制度考(中央委員選出制度の悪企み) |
| 満場一致制の由来考 |

(最新見直し2006.5.21日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| 日共が徳球系から宮顕系へ宮廷革命で移行して以来、この党の中央委員選出制度はより劣悪化している。それをスターリニズム批判の観点からするには及ばない。もっと一般的に権力者の封建的王朝的ご都合主義の賜物と看做せばよい。彼らは公明正大ができず、腹に一物の不正の悪巧みを持つ者特有の不公正制度を好んで導入する。本サイトで、その実態を検証してみたい。 2005.6.12日 れんだいこ拝 |
| 【先行社会主義国家に共通する不公正党内選挙制度の証言考】 | |||
| 「先行社会主義国家の不公正党内選挙制度」には驚きあきれるばかりである。旧ソビエトも北朝鮮も恐らく中国も然りである。これを真似て日本共産党内の選挙制度も選挙の意味を為さない代議員選出制を導入している。これを例証する貴重な実例証言が有るのでこれを見ておく。 れんだいこのインターネット畏兄・木村愛二氏の「憎まれ口」の「1.連載:元共産党「二重秘密党員」の遺言」の「(その1) 仮初にも「民主主義」を言うのなら」より関連箇所を抜粋して転載する。
「(その2) ファシズムと紙一重の『一枚岩』」より関連箇所を抜粋して転載する。
れんだいこが習ってきたマルクス主義というのは、ブルジョア民主主義よりもより実質的な民主主義を目指すものとしてのプロレタリア民主主義創出をイデーとしているが、どこでどうとち狂ったか、その後のマルクス主義は真反対の方向へマルクス主義の名をかぶせてリードしているように見える。 その後のマルクス主義は、といっても元祖マルクスにも多少その気配があるのだが、プロレタリア独裁論の名を借りることによりブルジョア民主主義の民主主義よりも随分歴史後退的な封建的王朝的なものへと転換させてしまっている。我々は、この不正を指弾せねばならない。同時に、その弊害を防ぐ為に、身の回りに於いて例えミニチュアな模型なりとも、須らくプロレタリア民主主義制を先取りしそれを同心円的に拡張せしめていかねばならない。 「先行社会主義国家及び資本主義国内の共産党に共通する党内不公正選挙制度」は、プロレタリア独裁論の幼稚染みた弄びでしかない。いわゆる「民主集中制」という呪文によってこれを仕掛けるのであるが、仮に「民主集中制」を認めたとしても、その字句通りに運用されていない。実態は、一握りの党中央幹部集中制でしかなく、「民主集中制」の「民主」は欺瞞的に胡椒をふりかけされているに過ぎない。 日共は、「先行社会主義国家に共通する不公正党内選挙制度」を更に改悪しているような思えるからなお始末が悪い。その実態はこうである。 党大会代議員は、各都道府県委員会より選出される。選挙人には、事前に党中央のお墨付きを得た代議員候補が推薦名簿として提出される。候補者の一覧が縦書きに印刷された紙が手渡され、それぞれの候補者の下に割り当て人数分に応じて○をつけていくことになる。つまり、一人が定員数一杯の投票権を持つ信任投票ということになる。これは史上、「大選挙区完全連記制」と云われるものである。 「さざなみ通信」の1999.6.22日付の「吉野傍」氏の「歴史上存在した中で最も多数派に有利な反動的選挙制度」は、次のように指摘している。
つまり、日共が導入している「大選挙区完全連記制」の問題は、名簿外の党中央反対派の立候補が為される余地があるのか、それを潜り抜けた場合に当選する可能性や如何にというところに有る。これを検証する。 そもそもこの都道府県党会議の代議員になるためには次の関門を潜らねばならない。まず、地区党会議の代議員になるために支部総会で立候補して当選しなければならない。その際の選挙でも事前承認済みの代議員候補に競り勝たねばならない。目出度く地区党会議代議員になったとする。彼は、地区党会議でも立候補して事前承認済みの代議員候補に競り勝たねばならない。目出度く都道府県党会議代議員になったとする。彼は、都道府県党会議でも立候補して事前承認済みの代議員候補に競り勝たねばならない。 つまり、支部総会、地区党会議、都道府県党会議の3つの会議で、党中央の押し付ける予定代議員と競り勝ってはじめて党大会代議員になることができるのである。この過程で、反党中央派党員は、あれこれと難癖をつけられて、例えば、反党活動の疑いがあるとかの規約違反理由をこじつけて代議員資格を奪われる可能性がある。実際、東大院生支部ではかって、そのような理屈で都道府県党会議代議員の資格を奪われるという史実が刻まれている。要するに、多段階かつ推薦なる二重三重の縛りがかけられていることが分かる。かくて、党大会は満場一致大会となるのもむべなるかなという次第になる。 反党中央派党員が党大会の代議員に成り得る可能性や如何に。誰かこれを試算してみれば良い。れんだいこは数式が苦手なので分からないので文学的に表現するが、ラクダが針の穴を通るに似ている天文学的困難さを伴っているであろう。これがはたして選挙という名に値するだろうか。ほんの単に形式だけのことではなかろうか。プロレタリア民主主義というのは、ブルジョア民主主義よりもかくも悪質な制度なのであろうか。 にも拘わらず、今日でも日共党中央は、概要「我が党では、すべての指導機関は選挙で選ばれる」という「党内民主主義」を自賛しつつ、政府自民党の選挙制度改悪に反対論をぶっている。政府自民党の選挙制度改悪は事実としても、それを云うなら手前の党がまず模範例を示しておく必要があるのではないのか。手前のところがもっと悪辣な制度を敷いているのに「政府自民党の選挙制度改悪反対」とはこれ如何に、と受け止められるのが自然だろう。 思えば、れんだいこの日共に対する燻りはこういうところから発しているように思われる。一事万事で、他の例を検証しても同じようなことが云える。だがしかし、この党中央を愛する者が居る。党と党中央とは別物という基準に立たねばならないだろうに。 2005.6.12日 れんだいこ拝 |
「吉野傍」氏は、「さざなみ通信」の1999.6.22日付投稿「少数意見を反映させるシステムを>へそまがりさんの提起に答えて」で次のように述べている。
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「吉野傍」氏は、「さざなみ通信」の2000.9.24日付投稿「党大会の形骸化と中央権力の強化」で次のように述べている。
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| 【満場一致制の由来考】 | ||
ジャン・ジャック・ルソーは、著書「社会契約論」の中で告ぎ゛のように述べている。
ルソーの指摘の「二種の満場一致」のうち、宮顕党中央の下で繰り広げられる満場一致はどちらのそれであるか、云うまでもなかろう。 2006.5.21日 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)