| 補足(13) | 宮顕による史実偽造「野呂委員長の遺言」について |

(最新見直し2006.5.25日)
| 宮顕は、自身の悪行が露見することに対して極めて神経質であり、都合が悪いことを隠蔽改竄歪曲するのを常習としている。この作風は不破にも継承され、今日の日共の宿あの体質となっている。とりあえずアトランダムに記すが、まずは野呂委員長関係から書き付けておく。 |
| 【1、野呂栄太郎の最後の言葉について】 | |
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塩野富津子著の「野呂栄太郎の想い出」(265P)(新日本出版社、1976.4.30)に次のように記されている。
この証言は、佐藤さち子の「同志野呂栄太郎の想い出」(青山みどり、前衛15号、1947.4月)に拠っている。塩野富津子の「野呂栄太郎の想い出」は、「党中央委員大泉、小畑リンチ査問、小畑致死事件」に対して、「野呂はこの二人を決して信用していなかった云々」と書き連ね、その傍証として小畑が死亡したにも関わらず専ら大泉の胡散臭さを述べながら、宮顕のリンチ事件に纏わる胡散臭さを免責するという論調になっている。まさに宮顕党中央の意図に従って野呂栄太郎論が為されていることが分かる。 |
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| 【2、野呂検挙後の宮顕の不審な行動について】 | |
れんだいこの「宮顕論」の「査問開始」の項で次のように記している。以下引用。党中央内にこうした亀裂を走らせつつあった最中の11.28日、野呂委員長が検挙されている。ここで貴重な証言が残されている。野呂検挙の後連絡をとった寺尾としは次のように伝えている。
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何気なく見過ごされがちであるが、野呂検挙後の連絡線として直ちにやってきたのが宮顕であるということと、その時の様子が同志的愛党的な立場からてきぱきと指導をするのではなく、調査物色にでも来たかのような対応に終始していることが伝えられているということである。もう一つ、「着物に角帯をしめた」姿とは非合法時代のカムフラージュとしてそのような悠長な出で立ちだったのだろうか。私にはそうは思えない。それにしても何をしに宮顕は出向いているのだろう。胡散臭さを窺うべきではなかろうか。してみれば、「寺尾とし証言」も又貴重である。 2004.6.1日再編集 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)