| 補足(12) | 「宮顕こそ胡散臭いとする証言集」(「西岡証言」、「吉本三木雄証言」他) |

(最新見直し2006.5.25日)
| 【西岡証言】 | ||||
| 亀山の「代々木は歴史を偽造する」に注目されるべき重要なことが書かれている。宮顕こそ胡散臭いという「西岡証言」である。以下、これを見ておくことにする。 亀山は次のように述べている。「最近、神山茂夫研究会において『自分はそのような上申書をあげた一人である』という同志に出会った」。これはどういうことかというと、「党中央委員大泉・小畑リンチ査問事件、小畑致死事件」に関係する重要事である、直前の党内情勢として「大泉、小畑に対して下部から上申書が党中央部にたびたび来ていた」との査問側の正義の弁明に関係しているからである。 そういう上申書を提出した一人である西岡氏は次のように云う。
この西岡氏は獄中で春日(庄)、袴田、宮顕らと一緒にいた時期があるようであり、貴重な証言をしている。宮顕に対しては次のように述べている。
|
| 【「吉本三木雄証言」】 | |||||
|
「吉本三木雄証言」(昭和51年5.13日)も貴重である。次のように述べている。
その吉本氏について次のように語られている。
吉本氏の宮顕批判の舌鋒は凄まじく、次のように発言している。
|
| 【「寺尾とし証言」】 | |
「補足(13)の2、野呂検挙後の宮顕の不審な行動について」で、「寺尾とし証言」記したが、ここでも確認しておく。党中央内にこうした亀裂を走らせつつあった最中の11.28日、野呂委員長が検挙されている。ここで貴重な証言が残されている。野呂検挙の後連絡をとった寺尾としは次のように伝えている。
|
|
何気なく見過ごされがちであるが、野呂検挙後の連絡線として直ちにやってきたのが宮顕であるということと、その時の様子が同志的愛党的な立場からてきぱきと指導をするのではなく、調査物色にでも来たかのような対応に終始していることが伝えられているということである。もう一つ、「着物に角帯をしめた」姿とは非合法時代のカムフラージュとしてそのような悠長な出で立ちだったのだろうか。私にはそうは思えない。それにしても何をしに宮顕は出向いているのだろう。胡散臭さを窺うべきではなかろうか。してみれば、「寺尾とし証言」も又貴重である。 2004.6.1日再編集 れんだいこ拝 |
| 【松尾茂樹証言】 | |||||
|
非常時共産党時代の中央委員・松尾茂樹は、宮顕を本能的に嫌っていた。野呂執行部時代に中央委員に昇格した宮顕に対し、大衆団体方面を受け持っていた松尾が、「宮本は文化運動出身者で、党や労働組合方面の実際の階級闘争、大衆闘争の経験が非常に少ない。東京市委員会にでも行って、多少直接闘争の経験をする必要がある」と強硬に申し入れ、結局この意見が強まり、6月中旬に野呂、大泉、小畑の政治局に編成替えされている。
|
|||||
これは貴重な証言である。氏の宮顕観は、「労働組合方面の知識は全くない男」であり、「セクト的行動」であり、「同志をスパイ呼ばわりする常習犯」であり、概要「甚だなっていない処置をする、非常に卑怯な態度」の持主であるということだ。現下党員は、この悲痛な叫びを肝に銘じるが良い。なお、松尾氏はこの証言後、詳細不明であるが獄死させられている。 |
![]()
(私論.私見)