「立花の執筆手法」について

 (最新見直し2006.6.22日)

【「立花の執筆手法」について】

 立花隆の正体 “知の巨人”伝説を斬る」(朝倉喬司、リム出版新社は重要な指摘をしている。「角栄研究の取材・執筆」という項目で、立花氏の執筆動機、手法、経緯が次のように紹介されている。

 「開設されたばかりの大宅壮一文庫で角栄関連の資料を全部コピーしてきた。チョコチョコお目当ての物だけ利用するんじゃなくて、全部持ってくるような利用の仕方は、多分これが初めてなんですよね。とにかく、その時に手に入る限りの基礎的な活字資料を全部わーっと集めたんですよ」
 「一番最初から月刊誌があれだけ金と人を使ってやるのは初めての経験なんですよ」
 「それから文春社員の友人知人とか、翌年の文春就職が内定していた学生数人をアルバイトに頼んで、自治省に行って政治資金報告書などを筆写するとか、資料からチャートを作成するとかプロ記者のアシスタントをしてもらった」(前掲『立花隆のすべて』中の、本人の発言)。

 立花氏の上述の執筆手法に対し、朝倉氏は次のようにコメントしている。
 「『文藝春秋』1974.11月号に発表された『田中角栄研究―その金脈と人脈』執筆当時をしのんだこの言葉に、同記事に係わった彼のポジションが問わず語りされている。要するに『角栄研究』は、立花の名を冠した、取材、調査のプロジェクトチームの仕事だった。すなわち一本の記事を、編集者と、データマンと呼ばれる取材記者と、アンカーと称せられる文章作成役の三者の、完全な分業体制で“産出”する方法。その場合、編集者は企画の原案や取材の指示、記事のコンテづくりを担当し、複数のデータマンは取材に専念することになる。この方式を、テーマを鮮明に絞り込んだうえで、アンカーとしての立花に強い権限を与え、かつて無かったほど多数の人員、多額の資金を投入して駆使したのが『角栄研究』だった」。

(私論.私見) 立花氏の執筆体勢に就いて

 これは貴重な自己暴露であり、朝倉氏の指摘であるように思われる。立花の発意で指揮の下にプロジェクトチームが稼動したのならともかく、誰かのやらせで「角栄研究」シナリオができており、それにリーダー格として乗ったのが立花ということになりはしないか。事実、その可能性のほうが濃厚というのがれんだいこ見解である。

 2005.8.28日 れんだいこ拝


【「立花の角栄物執筆契機」について】
 立花は、角栄物を手掛けるようになった経緯に付き、次のように漏らしている。
 「このテーマにそれほど気乗りしていたわけでもなかったので(編集部からの依頼を―引用者)何度も断わった。しかし、人手はたっぷり用意するから、取材のプラン作りと、その進行具合のチェックと、最後のまとめ役だけということで、強引に引き受けさせられた」。
 「そんな事情だったので、はじめはかなり腰が重い感じで動いていたのだが、だんだんほかのスケジュールを全部切って、全面的にこの企画にのめり込んでいくことになってしまった。そしてついには、文藝春秋社の仮眠室に泊り込んで、自分のプライベートな時間がゼロという日々が続くことになる。なぜそんなことになったのかといえば、とにかく面白かったからである。なにがそんなに面白かったかといえば、やはり、謎解きの面白さであろう」(講談社文庫『田中角栄研究全記録』)
(私論.私見) 立花氏の角栄物執筆動機と着手経緯に就いて

 立花自身による証言即ち「このテーマにそれほど気乗りしていたわけでもなかったので(編集部からの依頼を―引用者)何度も断わった。しかし、人手はたっぷり用意するから、取材のプラン作りと、その進行具合のチェックと、最後のまとめ役だけということで、強引に引き受けさせられた」とは貴重な独白である。当人はどういうつもりで楽屋裏を明かしたのか意図が不明であるが、こうなると「角栄研究」が典型的なやらせであったことになるではないか。

 自分が田中角栄の金脈暴露をテーマにしたことの記事に係わったのは、別に彼を批判したかったからでも、正義感にかられたからでもなく、まるでパズルを解いていくような「謎解き」の面白さに熱中したからとも云う。実際にはどういう風に「謎解き」したのか。背後の教唆者のシナリオに添って解明しただけのことではないのか。「謎解きの面白さに熱中」などと煙幕張って取り繕っているが、この「自白」証言の価値は重い。

 2005.8.28日、2006.6.22日再編集 れんだいこ拝

【「立花のジャーナル精神及び手法」について】
 立花は、著書「脳を鍛える」(新潮文庫)の中で次のように述べている(「西澤氏の読書日記」)。
 「(中略)僕が一番好きで、かつ一番特異としているのは、知の世界の全体像ですね。(中略)野次馬としてはかねがね一流の域に達しているとひそかに誇っている。一流の野次馬になる秘訣は次のとおりである。まず、『こと』が起きたら、とにかく現場にできるだけ早く駆けつける。次に『こと』が起きている範囲を見極め、その全体像をながめ渡せる見晴らしのきく場所を確保する。そこからあちこちながめて、一番面白そうなことが起きている場所を見つけてその現場に駆けつける。そこについたら、人波を押し分けかきわけ、とにかく一番前の一番よく見える場所に強引に割り込んで、ひたすら熱心に見物する。その現場でのドラマのクライマックスがすぎたなと判断したら、未練をのこさず立ち去り、再びもっとも見晴らしのいい場所にたちもどり、次のもっとも面白そうな現場がどこかを見つける。以下同じように繰り返すわけである」。

(私論.私見)

 西沢氏は、「すごい。すごすぎです」なるコメントを付けている。この提灯野郎は何に感心しているのだろう。ここで述べているのは、立花が如何に時流迎合屋であるかを自身で明らかにしているだけのことである。むしろ、全体の語りからして節操の無さを窺うべきだろう。それに感心するとは、この御仁の「脳の限界」が透けて見えてくるような話である。

 2005.8.28日 れんだいこ拝




(私論.私見)