| 4524 | ロッキード事件 |

(最新見直し2007.3.1日)
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| いわゆるロッキード事件とは、事件当時に現職総理であった田中角栄が、米国ロッキード社の代理店であった丸紅の請託を受けて、全日空に新型旅客機としてロッキード社製のトライスターの選定を承諾させ、その謝礼として5億円を受け取ったと「される」受託収賄罪事件である。 この「ロッキード事件」を再検証することが今ほど望まれている事は無い。特に、日共系のカクエイ批判の度が過ぎており、この観点と対決せずんば有益な運動を何一つ組織し得ないであろう。れんだいこは、先にれんだいこ党を旗揚げしている。参じて来る者は未だ少ないが、「田中角栄氏の歴史的再評価復権」を掲げている。れんだいこの卓見が評される時がいつかくるだろう。 思えば、「ロッキード事件ないし角栄考」は、現代左派のリトマス試験紙になり得る。角栄を高く評価できない者は汝が左派でないことを知れ。角栄を悪し様に云う者は、云えば云うほど汝がエセ左翼つまりサヨであることを知り恥よ。それほど観点が歪んでいるという訳だ。 とまぁ述べたが、分からない者には分からないのだろう。そして死ぬまで正義ぶりつつ何ほどのことも為しえなかったのに自尊しつつ去っていくのだろう。れんだいことは永遠に会話が通じない手合いである。これも人の世の倣いだろう。 2005.2.12日、2007.3.1日再編集 れんだいこ拝 |
| (れんだいこのショートメッセージ) |
| なぜ、角栄が「悪のシンボル」としてあれほど糾弾され、汚名を残したまま去らねばならなかったのか。私も又、「ロッキード疑獄事件は、日本の近代政治史上最大の汚点=魔女狩りであった。ロッキード裁判は何から何まで滅茶苦茶であった」と考える。この魔女狩りの恐ろしきところは、法の番人をはじめとする当代の一流とされるインテリ層によって為されたそれであったことである。我が国のインテリを自称する者たちのこの悪行は、彼等のインテリの質を示すものとしてしっかりと踏まえておかねばならない。 なお、この余韻は今も続いている。しかし、その杜撰さは、「角栄問題」より余程腐敗したその後の事象に対してはおざなりを決め込み、ダンマリあるいはフリーパスさせているという変態性の中で、ご丁寧にも今も「ロッキードを風化させるな」と云われ続けていることにある。 私は、こうした似非インテリ層のボンクラ性と怯惰な精神に吐き気を覚えている。今日まで論調の変化を期待してきたがその兆しは無い。もはやれんだいこの出番とせざるを得ない。遅きに失するが、今からでもその解明をやらぬよりはやった方がよいから。 その観点はこうである。結果的に、ロッキード事件は、田中角栄という稀有な有能政治家を失わせることになった。これにより法体系の背骨が狂わされてしまった。どちらに於いても日本にとってかけがえのない損失であった。そのことがはっきりする今日に至っており、今後ますます痛恨を噛み締めることになるであろう。 以下見ていくことになるが、角栄追討派が、「初めに判決ありき」に従い、如何に理不尽なまでに「戦後民主主義」の諸ルールを踏みにじっていったかを明らかにしたい。仮に千歩譲って、角栄を金権の元締めとして葬らねばならない意図があったとしても、「やって良いことと悪いことがある」、というのが私の考えである。時の勢力は、この理不尽を「さも、らしく」粉飾しながら貫徹させた。為に、「さも、らしく」後遺症があらゆる分野に今も攪拌している、と私は見なしている。言い方を替えれば、真偽不明の汚濁混沌現象が全域に転移してしまったということだ。このマインドコントロールを解く力が私の筆のうちにありや否や! 「やって良いことと悪いことがある」について若干補足したい。「やって悪いことを行うのがなぜ悪いのか」、それは脳内の思考秩序を混乱させるからである。脳内の混乱は世事雑般に対しての処世を混乱させる。この混乱は社会をアノミーにさせる。こうなると最終的に出てくるのが強権力であり、この強権力が良き指導性を発揮すればまだしもそういうことは稀である。我々を家畜にして恥じない視野狭窄権力者を生むのが常である。元に戻ってそういう意味で、「やって悪いことを行うのは悪い。結果、高くつく」ことになる。「角栄その後」はその例証であろう。 2003.9.16日、2006.1.7日再編集 れんだいこ拝 |
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(私論.私見)