●ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。
世の中ににある、人と住みかと、またかくのごとし。
★「方丈記」の冒頭の名文句です
●いま、日野山の奥に、跡をかくして後、東(ひんがし)に三尺余りの庇(ひさし)をさして
柴折りくぶるよすがとす。南に竹のスノコを敷き、その西にあか棚をつくり、
北によせて、障子をへだてて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢(ふげん)をかけ、前に法花経をおけり。
東(ひんがし)のきわにワラビのほどろを敷きて、夜の床(ゆか)とす。
西南に竹の吊り棚を構えて、黒き皮ご三合を置けり。
すなわち、和歌、管絃、往生要集(おうじょうようしゅう)ごときの抄物(しょうもの)を入れたり。
かたわらに、琴、琵琶おのおの一張を立つ。いわゆるおり琴、つぎ琵琶これなり。
かりの庵(いおり)の有様(ありよう)、かくのごとし。
★日野山の庵、方丈(3メートル)四方の描写です、
●その所のさまをいわば、南にかけひあり。岩を立てて、水を溜めたり、
林、軒近ければ、爪木(つまぎ)を拾うに乏(とも)しからず。名を外山(とやま)という。
まさきのかずら、跡を埋めリ。谷しげけれど、西晴れたり。観念のたより、無きにしもあらず。
春は、藤波を見る。紫雲のごとくして、西方(さいほう)に匂う。
夏は、ホトトギスを聞く。語らうごとに、死出の山路を契る。
秋は、ひぐらしの声、耳に満てり。うつせみの世を悲しむかと聞こゆ。
冬は、雪をあわれぶ。積もり消ゆるさま、罪障にたとえつべし。
もし、念仏ものうく、読経(どくきょう)まめならぬ時は、みずから休み、みずから怠る。
さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。
ことさらに、無言をせざれども、独り居れば、口業(くごう)を修めつべし。
必ず禁戒(きんかい)を守るとしもなくても、境界(きょうがい)なければ、何につけてか破らん。
もし、跡の白波に、この身を寄する朝(あした)には、岡の屋にゆきかう船を眺めて、
満沙弥(まんしゃみ)が風情(ふぜい)を盗み、もし、桂の風、葉を鳴らす夕(ゆうべ)には、
じん陽の江を思いやりて、源都督(げんととく)の行いを習う。
もし、余興あれば、しばしば松の韻(ひびき)に秋風楽(しゅうふうらく)をたぐえ、
水の音に流泉(りゅうせん)の曲をあやつる。
芸はこれ拙(つた)なけれども、人の耳を喜ばしめんとにはあらず。
独り調べ、独り詠じて、みずから情(こころ)を養うばかりなり。
★和歌に精通してないとわからない言葉もありますが、適当に解釈して読みましょう
さすが和歌の名人の散文だけに、語感が素晴らしい
かなりな風流人の鴨長明ですが、平安期の名文家といえるでしょう