島津、脱出逃避行1
戦場に取り残された島津軍、驚異の中央突破!
関が原の戦い
大阪冬の陣1
大阪冬の陣2
大阪夏の陣1
大阪夏の陣2
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■伏見城攻防戦■
九州の南端、薩摩の島津藩、朝鮮の役では渡海して明軍に鬼島津、シマンズと恐れられた
この時、朝鮮から連れ帰った陶工が薩摩に定住して、かの有名な薩摩焼きを作った
太閤亡き後は徳川家康と親しく、庄内の乱では徳川家康の世話になった、また禁を破っての
5万石の加増でも家康の世話になった。
島津藩は徳川家康の味方をしようということで藩論は統一されていた
石田三成が挙兵後、ただちに伏見城の守備のために、島津義弘が兵1500を率いて向かった
伏見城には西軍の石田三成軍や宇喜多秀家軍などが、集まっていた
★「島津義弘である、家康どのとの約定により伏見城の守備に参った、ご開門!」と島津義弘
ところが、帰ってきた返事は「ズドーン!ズドーン!」との銃撃。
★「なんの真似だ、島津義弘軍であるぞ」と島津義弘
★「何人たりとも城内に入れるなとの大御所の命令である、入れるわけには参らぬ」と鳥居元忠
鳥居元忠は家康の股肱の臣、竹馬の友、、勇猛果敢な武将として家康の信任厚く、守備を任されていた
伏見城の守備兵は約3500、全員討ち死にを覚悟した徳川の忠義の臣であった
★「おのれ、家康に騙されたか?本多正信はたしかに守備を頼むと申したのに・・・クソ!」
★「エエイ、こうなったら伏見城を攻める、今日から西軍だ」と叫ぶ島津義弘
まわりにいるのはすべて西軍、早く決断せねば西軍に攻められ、城にも入れず自滅してしまう」
島津軍が西軍とともに伏見城に猛攻を加えた
島津軍→→→伏見城
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■西軍の軍議■
関が原の戦いの前夜ーーー大垣城での西軍の軍議
★島津義弘「徳川家康はさきほど岡山の陣地に到着したばかりである、直ちに夜襲をかけよう」
★宇喜多秀家「それがよい、今ならまだ混乱しているはず、やるなら今だ!奇襲だ」
宇喜多秀家は17000の大軍を擁して大垣城に入っていた備前、美作の領主
★石田三成「あいやしばらく、奇襲をかけずとも、今しばらくすれば毛利輝元軍が到着する、さすれば
数の上で我らが有利、夜襲などかけずとも我らが勝てる」
★島左近「殿の言うとおりでござる、夜襲などという田舎武者のようなことをするでない」
実戦経験の少ない、石田三成、島左近らが夜襲に反対する
ここでも又、人に嫌われる秀才官僚の石田三成の悪いクセが出た
島津義弘★「我が物見によれば、家康軍は岐阜からの強行軍で相当疲れていると申す、夜襲すべし」
朝鮮の役で実戦経験の豊富な島津義弘が重ねて夜襲を勧めるが石田三成らが反対する
★石田三成「島津殿が1500では少ないでは御座らぬか?5000くらいは出せるであろう
★島津義弘「わが兵は朝鮮征伐経験の精鋭で御座る、他兵の10人分に相当するツワモノぞろいで御座る」
軍議は揉めにもめていたが、そのうち石田三成の物見の報告で徳川家康が急遽、石田三成の居城、
佐和山城を攻めると決したとの報告が入る、また大垣城を水攻めにするとの報告も入った
水攻めされればこの大垣城から一歩も出られなくなる、、、、、佐和山城も危ない
石田三成★「これより大垣城を出て関が原に陣取る、大谷吉継は、もう行っているはずじゃ」
徳川家康の仕掛けた罠にかかって、西軍は大垣城から出て雨中、一路、夜の関が原へ
西軍→→→関が原へ
まんまと大垣城から誘い出された西軍、それを確認してから、後を追うように東軍も関が原に走る
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■決戦!関が原■
笹尾山に陣取る石田三成、石田三成軍の隣に脇備えとして控える島津義弘軍
脇備えというのは、最後にここぞというときに突撃して勝ちを決める役回りの軍
1500人という少人数の島津軍としてはやむを得ぬ役割であろう
関が原に深夜、陣を敷く西軍と東軍、おびただしい軍馬、荷駄隊が走り回る
雨中の行軍で両軍泥まみれ、西軍は早めに陣を敷き終わり、やや余裕で山城を築きつつある
両軍の物見が深夜、走り回る、、、けたたましい馬の鳴き声が響き渡るヒヒーン
西軍は笹尾山の石田三成軍、島津義弘軍、小西行長軍、宇喜多秀家軍、松尾山の小早川秀秋軍
南宮山の毛利秀元軍、吉川広家軍、長宗我部盛親軍、安国寺軍、長束正家軍他
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東軍は桃配山の徳川家康軍、関が原の平地部分に福島正則軍、田中吉政軍、藤堂高虎軍
京極高知軍、黒田長政軍、細川忠興軍、加藤嘉明軍、山内一豊軍、池田輝政軍、浅野幸長軍他
慶長5年1600年9月15日午前、霧に煙る関が原
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午前8時「ズドーン!ズドーン!ズドーン」松平忠吉軍の放った銃撃から戦闘が始まった
西軍の宇喜多秀家軍がただちに応射!「ズドーン!ズドーン!ズドーン!ワーワーワー」
福島正則軍に激しく切り込む、宇喜多秀家軍、小西行長軍
東軍の黒田長政軍、加藤嘉明軍は朝鮮の役の仇とばかり、石田三成軍を集中攻撃!
石田三成軍の猛将の島左近が大活躍、西軍がやや押し気味→→→
石田三成軍の秘密兵器、大砲が東軍陣地で炸裂!ドガーーーン!ドガーーン!
大砲→→→→→東軍
序盤は西軍が押し気味、島津軍は陣を整列させたまま動かず、粛然と形勢を観望するのみ
東軍もこの不気味に沈黙を続ける島津軍は避けて通る、朝鮮の役での島津軍の勇猛を知る東軍は戦いを避けた
陣地の一番奥の床机に腰をかけて島津義弘と島津豊久が作戦を練る、兵は厳しい顔で立ったままだ
★「攻撃はするな、かかってくれば切り捨てろ、銃撃しろ、攻めるではない」これが命令だ
関が原の大騒音の中で粛然と陣列を崩さない島津軍
南宮山に陣取った毛利秀元軍、吉川広家軍、長宗我部盛親軍らも、じっとしたまま動かず
実際の西軍の戦闘は大谷吉継軍、宇喜多秀家軍、小西行長軍、石田三成軍の約3万のみ
苦戦に陥った石田三成軍が島津陣に支援を求めてくるが、手一杯だといって追い返す
島左近が戦上手の黒田長政軍の側面からの迂回奇襲銃撃で負傷して後方に下げられる
この島左近の負傷により、石田軍はだんだんと苦戦に陥り、山城陣地に立てこもる
東軍の武将はにっくき秀才官僚、石田三成!と集中的に石田軍陣地を猛攻を加える
石田三成が自ら島津義弘軍に支援を求めてくる、★「なんとか助けてもらえまいか?」と石田三成
★島津義弘「こちらはこちらで手一杯でござる、援軍を出す余裕は御座らぬ」と断る
南宮山の毛利軍は動かず!と見た家康は本陣を前進させ、旗本部隊を最前線に投入する
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■小早川の裏切り■
松尾山の山頂に陣取っていた小早川秀秋が徳川軍に銃撃されて、12時頃、裏切りを決断!
★「敵は大谷軍、進め!」なだれの如く松尾山から駆け下りる小早川軍15000
同じく西軍の小川祐忠軍、朽木元綱軍、脇坂安治軍、赤座直保軍も裏切り!鉄砲でいきなり大谷軍に側面から襲い掛かる
小早川軍の動きには警戒していたものの、小川、朽木、脇坂、赤座軍には無警戒の大谷軍
大谷吉継★「なんと!小川、朽木、脇坂、赤座までも返り忠か?」あっという間に大谷軍が壊滅
家康の謀略工作、黒田長政の小早川、毛利への調略、忍び頭の藤堂高虎らの謀略がこの時、炸裂!
大谷吉継自刃!これを決起に西軍の敗走が始まる
石田三成は伊吹山に向けて逃走、小西行長軍、宇喜多秀家軍も敗走を開始
西軍の兵士も東軍の知り合いの武将を頼っての裏切りが続出、西軍から東軍に寝返った兵士も多かった
石田三成らの首を取って手柄を立てようと猟犬のように西軍を追う東軍の兵士たち・・・
鮮血に染まる関が原
●/∞6000∞●/∞
∞∞●/∞∞#∞∞
∞●/%∞●/∞∞
午後2時、関が原には東軍の兵士5万と島津軍500がいるのみとなった
★島津義弘「急ぐなよ、急ぐなよ、定まる風の吹かぬ限りは、、、」となにやら呪文のような言葉をつぶやく義久
整然と隊列を崩さず、屹立している島津軍に東軍も手を出さない、それでも朝からの戦闘で
島津軍は約1000を失った、残りは500のみ
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島津軍・・・・・・
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東軍の軍監の井伊直政も島津軍は要注意と監視していた。
東軍の福島正則軍や黒田長政軍も「あの島津軍がこのままで済むはずがない、手を出すな」と厳命していた
朝鮮の役での島津軍の勇猛ぶりを良く知る東軍の武将は島津軍を避けた
徳川家康★「ええーい、何をしておる、島津軍を討ち取れ!」
とシビレを切らして家康が討伐命令を下した
じわじわと近づいてくる東軍、島津軍は絶体絶命の窮地、、、どうする?島津義久
島津義久★「これより中央突破して伊勢街道に抜ける、者ども続け!」
なんと奇想天外の中央突破脱出作戦を敢行するというのだ、が、朝鮮の役以来の主従の信頼は厚く
島津軍が★「オー」と応じる、旗を折り、
突撃用の矢印型に隊列を組みなおして、集団で山を駆け下りる島津軍
ここからのあの伝説の中央突破脱出逃避行作戦が始まる
島津、脱出逃避行2へ
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