大阪冬の陣1
家康いよいよ大阪城攻め
関が原の戦い
慶長5年1600年9月に関が原の戦いで西軍石田三成らを破った東軍徳川家康は
西軍大名の取り潰し、改易、減封などで豊臣方の勢力削減を図った
一方、東軍の諸大名で戦功のあったものには大幅に加増した。
江戸から京都までの東海道筋には徳川一門や徳川譜代大名などを配して、他人の土地を通らずに
京都まで行ける態勢を整えた。豊臣秀吉子飼いの加藤清正は加増したが、遠く九州の熊本に置いた。
同じく猛将福島正則も加増したが尾張清洲から広島に移封した。
東軍で戦功のあった田中吉政も石田三成の幼馴染のため加増したが九州の久留米に移封した。
慶長8年1603年に三河の源氏の名門吉良氏の系図を借りて源氏を僭称して
征夷代将軍に任ぜられる(征夷大将軍は先例により清和源氏に限られる)
征夷大将軍となった家康は江戸に徳川幕府を開く
徳川家康、諸大名に命じ、江戸城の増改築、名古屋城の新築、河川の改修などをさせる。
豊臣系の大名、元西軍の大名は特に過酷な工事を命じて、財力を削減させたという。
一方、豊臣秀頼は母君の淀君の膝下ですくすくと育っていた。関が原後に65万石の地方大名に
落ちぶれていたが、天下の名城、難攻不落とうたわれた、豊臣秀吉が精魂込めて作り上げた
巨城の本丸で奥女中らにかしずかれながら、すくすくと育っていた。
豊臣秀吉が残していた巨額の財宝も金蔵に眠っていた。
豊臣の子飼い大名の加藤清正や福島正則、豊臣恩顧の大名も豊臣秀頼公が成長して
徳川家康が老齢で没すればまた豊臣の天下になると思っていた。淀君なども固くそう信じていた。
ところが慶長10年1605年に徳川家康は征夷大将軍の地位を三男の徳川秀忠に継がせた。
これは天下の支配権を代々徳川家が世襲したに等しい、これを聞いた淀君は激怒!怒りに打ち震えた
秀吉公の遺命で家康に内政を任せたが、★「秀頼が成長のあかつきには政権を渡すという約束であったはず!
うぬー許せん!タヌキ親父家康め!秀忠の就任式に出席しろ!だと?絶対に出席せぬ
出席するくらいなら、母子ともに自害して果てまする」怒りに打ち震える淀君であった
が、内政を一手に握る徳川家康は着々と布石を打ち、天下の徳川支配を固めていく
有力な大名に家康の血脈の娘を嫁がせる、婚姻政策を進めていく。外様大名には過酷な工事を命じて
財力を削ぐ、豊臣家には神社仏閣の修復工事を勧め、財力を削減させるという手を使った
豊臣秀頼には徳川秀忠の娘、千姫を嫁がせた。
慶長12年1607年、徳川家康が隠居地を駿府に定め、江戸より移住する。
慶長16年1611年、徳川家康が京都二条城で豊臣秀頼と会見する。
家康★「秀頼は間抜けでうつけと聞いておったが、なんと192センチの大男で、なかなか賢い男と見た、
これは容易ならぬ事態じゃ、このまま成長すれば世の人気が秀頼に移る、徳川の天下が崩れる
将軍の秀忠は見てのとおりの凡庸な男じゃ、本多正信なんとかせい!」
本多正信★「ハハーさっそく黒衣の宰相、金地院崇伝と図り対策を考えまする」
徳川家康の謀将の本多正信はさっそく崇伝を呼び、★「崇伝なんとかならぬか?」
崇伝★「ううーーー難問ですなー、そうだ!あの方広寺の梵鐘の銘文に因縁をつけてはどうですか?」
本多正信★「なに、あの京都東山の落成間近の方広寺の鐘の銘文になにか問題があるのか?」
崇伝★「ごらん下され、鐘の銘文に国家安康と刻まれてござる、これは家康を真っ二つにする、呪詛でござるぞ」
本多正信★「なにーー大御所家康様を豊臣は呪詛していると申すか?豊臣家老の片桐且元を呼べ」
豊臣子飼いの大名、しずがたけ七本槍の一人、片桐且元は大阪城の家老格となっていた
本多正信★「片桐殿、豊臣家は大御所様を呪殺するおつもりか?」
片桐且元★「めっそうもない、そのようなことはございませぬ、忠義の証に淀君を江戸に送りまする」
本多正信★「そうか、ならば大阪城に帰って早速淀君を人質として江戸へ送る手配をせい」
これは大変なことになった、早速淀君を説得しなくては・・うまくいくかな?と片桐且元
片桐且元★「淀様、徳川が人質として淀君を差し出すように強く要求しております、こたびは
豊臣家のために江戸へ行って下さらぬか?」
淀君★「且元、そちは正気か?わらわが人質として江戸へおもむくじゃと?豊臣が主家で徳川が臣家で
あろうが?豊臣家は関白のお家筋じゃぞ!ならぬ!許せん!且元!早々に大阪城から立ち去れい!」
かくして豊臣子飼いの家老、片桐且元が大阪城を去る、★「決戦じゃの」とつぶやく且元
これを合図に徳川家康は全国の諸大名に大阪城攻めの命令を下す・・大阪冬の陣の始まり
決戦止むなしの判断から豊臣方も食料の確保、関が原浪人の募集、武器の確保に走った
豊臣の勧誘で集まった有力武将は真田幸村、長宗我部盛親、大谷大学、増田盛次、毛利勝永
後藤又兵衛、明石全登、仙石秀範、氏家行広、京極備前、御宿政友、塙直之、、、関が原浪人が多かった
用意した食料は16万石、武将の確保には太閤秀吉が大阪城に蓄えていた大判、小判などの大金を使った
大阪城の家老格は大野治長、大野治房、織田有楽、織田信雄ら
対する東軍の大阪城包囲軍は
徳川家康3万、島津家久3万、徳川秀忠2万、前田利常1万2千、伊達政宗1万、松平忠直1万
池田忠継8千8百、池田利隆8千、浅野長晟7千、鍋島勝茂7千、山内忠義5千、池田忠雄5千
蜂須賀至鎮5千、松平忠明5千、上杉景勝5千、藤堂高虎4千、井伊直孝4千、本多忠政3千
南部利直3千、佐竹義宣1千5百、稲葉典通1千2百、酒井家次1千2百、古田重治1千
十重二十重に天下の巨城、難攻不落の名城大阪城を取り囲む東軍の武将
●大阪城軍議
大野治長★「淀殿が篭城じゃと言われておる」
真田幸村★「篭城では戦に勝てぬ、南に出城真田丸を作るぞ」
この外堀の外の作られた真田丸は包囲軍を鉄砲で威嚇して散々に苦しめた
後藤又兵衛★「戦は篭城では勝てぬ、城外に打って出て家康の首を狙うべし!」
小幡景憲★「城外戦は多勢に無勢、危険でござる、ここは天下の名城で篭城戦に限る」
小幡は元武田信玄の家臣、密かに片桐且元を通して家康に通じていた
淀君と乳兄弟の大野治長★「総大将の淀君が篭城じゃと言われておる、ここは篭城で・・・」
慶長19年11月19日、木津川口の戦いー蜂須賀至鎮軍が木津川口の砦を攻める
慶長19年11月26日、今福、鴫野の戦いー佐竹、上杉軍が木村重成、後藤又兵衛と戦う
慶長19年11月29日、博労淵の戦いー蜂須賀至鎮軍が大阪城の西、水路の要衝を攻める
慶長19年11月29日、野田・福島の戦いー徳川方水軍・九鬼守隆軍が豊臣方水軍を破る
慶長19年12月4日、真田丸の戦いー東軍の前田、井伊勢を真田幸村が銃撃で撃退する
○東軍、徳川方軍議
徳川家康★「天下の名城じゃ、なかなか攻略は難しいのお、なにか良い策はあるか?」
徳川秀忠★「数に勝る我が軍が総攻撃すれば、なんのこれしき、ひともみにつぶせます」
徳川家康★「それでは犠牲が大きくなりすぎる、思わぬ不覚を取るということもある・・・」
藤堂高虎★「外堀の下から本丸まで抜け穴を掘っては、どうでござろうか?」
徳川家康★「うーむ、それもやってみい、そうじゃ!大砲があったであろう、国友から届いたか?」
近江長浜の国友鍛冶に密かに特命で大砲おおづつを作らせていた
徳川家康★「片桐且元、して淀君はこの絵図面の本丸のどのあたりに住んでいるのじゃ?」
片桐且元★「大阪城には女子供合わせて約1万、奥女中は500人、淀君はこのあたりにおりまする」
徳川家康★「よし!鉄砲大将!このあたりを大砲で狙い撃ちにしろ、そして昼夜を問わず銃撃しろ!
そして城外から全員で大声を上げて、城内の女子供が寝られないようにしろ!」
家康は和議に持ち込むべく、大砲、鉄砲、大声で城内の人間を疲労困憊させる神経戦を取った
鉄砲大将★「ここじゃ、ここじゃ、このあたりを狙って大砲を撃ちこめ!>>>>>>
ウテー!>>>わー>わー>わー>ーー
ウテー!ワーわーわ>>>ーわーズドーンわーわーわーズドーン!
ワーわーわ>ーわー!ズドーン!>>>わーわーわーズ>ドーン
ウテーワーわーわーわー>ズドーンわーわーわー>ズドーン!
この暴騒音攻撃を24時間やられて、城内の人間に睡眠が取れない、神経が苛立つ
イライラした城兵同士で喧嘩を始める、同士討ちまで始める大混乱
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